○『酬楊贍秀才送別』詩、『秋夜雨中』詩、『江南女』詩、『寓興』詩と、崔致遠の詩を紹介し続けているが、今回案内するのは、崔致遠の『古意』詩である。
【原文】
古意
崔致遠
狐能化美女
狸亦作書生
誰知異物類
幻惑同人形
変化尚非艱
操心良独難
欲辨真与偽
願磨心鏡看
【書き下し文】
古意
崔致遠
狐は能く美女と化し、
狸も亦た書生を作す。
誰か知らん、異物の類、
人と同じ形をして、幻惑するを。
変化は、尚ほ艱に非ずして、
操心は、良や独り難し。
真と偽とを辨ぜんと欲するより、
願はくは磨かん、心鏡を看るを。
【我が儘勝手な私訳】
狐や狸に化かされることの意味
キツネはよく美女に化け、
タヌキもまた読書人へと化する。
誰もがキツネやタヌキが人に化けて、
人を惑わすことを知っている。
しかしながら、変化そのものは決して非難されるような代物では無くて、
心が操られること自体が、もともと問題なのである。
本物と偽物とを分別するように成りたいと願うより、
出来たら、ものの本質を見通す心眼を身に付けるようにしたいものである。
○前々からある程度、想像出来て居たことだが、『古意』詩で、崔致遠がようやくその正体を現す。そう言う意味で、崔致遠の『古意』詩は、分かり易い。『古意』詩を読む限り、崔致遠は間違いなく道士であることと理解出来る。
○「荘子」『山木篇第二十』に、
若夫乗道徳而浮遊者則不然。
無誉無訾一龍一蛇與時倶化而無肯専為。
・夫の道徳に乗じて浮遊するが若きは則ち然らず。
・誉れも無く訾りも無く、一龍一蛇、時と倶に化して、肯へて専らに為すこと無し。
の至言がある。崔致遠が『古意』詩で詠もうと目論む主題がここにあることは間違いない。
○キツネやタヌキに化かされる話は、古今東西、いくらでも聞く話である。それを「荘子」の主義主張に結び付ける手腕はなかなかのものである。万物は刻々変化して止まない。そういう変化の奥に潜む本質を見ることが肝要だと崔致遠は説く。
○荘子は紀元前四世紀の人だとされる。崔致遠は九世紀の人物である。そういう時空を超えて二人は同じ思想を共有している。二十一世紀の現代でも、それは十分通用する思想である。それが「荘子」の凄いところである。
○禅の原点は、確かに天竺にあるのであろう。しかし、禅が完成するには道家思想に拠らない限りあり得なかったことを理解する。それ程、中国では仏教は道教に近しい。崔致遠が獲得している思想もそういうものではないか。
○最澄や空海が渡唐した時期に、既に中国では禅が盛んに行われていた。ところが最澄も空海もそういう禅を日本へ勧請せず、天台宗や真言宗と言った旧来の宗教を日本へ持ち込んでいる。もちろん、それには、それなりの理由が存在した。社会の成熟が日本では、まだそこまで成長していなかったのが理由だと思われる。文化は受容する者の成熟が無くては受け入れられない。そういうことを最澄や空海は理解していたのではないか。
○日本へ禅が広まるのは鎌倉時代、十三世紀になってからのことである。そういう禅意を崔致遠が既に身に付けていることに驚く。崔致遠の『古意』詩を読んで、そういうことを思った。
●なお、古代に於ける朝鮮人の中国での活躍は崔致遠だけではない。崔致遠よりもっと古い時代からそれは連綿と続いていると考えられる。長江中流域に九華山が存在し、地蔵菩薩の霊場として知られる。地理的には安徽省池州市青陽県になる。その九華山を開山したのも、新羅の金喬覚和尚(696~794)だとされる。
●2013年6月に、九華山化城寺へ参詣した。九華山化城寺は、山の中の小さな盆地の中に存在する。暑い時期の参拝であったが、流石にここは涼しかった。九華山化城寺については、以下のブログに書いている。
・書庫「九華山・黄山」:ブログ『九華山』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38408033.html
・書庫「九華山・黄山」:ブログ『九華山:化城寺』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38410633.html
●金喬覚和尚も、尋常の人物では無い。金喬覚和尚の作詩とされる『送童子下山』詩を読むと、その人となりがよく判る。
・書庫「九華山・黄山」:ブログ『金喬覺:送童子下山』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38418150.html
●崔致遠が憧れたのは、新羅の先人、金喬覚和尚ではなかったかと私は想像している。