○表題には、「楊広:飲馬長城窟行」と掲げたが、中国では、「飲馬長城窟行」自体が詩題となっていて、漢樂府詩の「飲馬長城窟行」を始め、陳琳詩作「飲馬長城窟行」、陸機詩作 「飲馬長城窟行」など、多くの「飲馬長城窟行」詩が存在する。
○その中で、楊広の「飲馬長城窟行」詩は、「飲馬長城窟行・示從征群臣」として案内されることが多い。隋の煬帝が突厥平定に赴く際に、万里の長城近くで休憩をした。その時の決意を詠ったものが「飲馬長城窟行・示從征群臣」詩である。
【原文】
飲馬長城窟行・示從征群臣
楊廣
肅肅秋風起,悠悠行萬里。
萬里何所行,漠築長城。
豈台小子智,先聖之所營。
樹茲萬世策,安此億兆生。
詎敢憚焦思,高枕於上京。
北河秉武節,千里卷戎旌。
山川互出沒,原野窮超忽。
摐金止行陣,鳴鼓興士卒。
千乘萬騎動,飲馬長城窟。
秋昏塞外雲,霧暗關山月。
緣岩驛馬上,乘空烽火發。
借問長城候,單于入朝謁。
濁氣靜天山,晨光照高關。
釋兵仍振族,要荒事方舉。
飲至告言旋,功歸清廟前。
【書き下し文】
長城窟にて馬に飲するの行:從征せし群臣に示す
楊広
蕭蕭として秋風の起こり、悠悠として萬里を行く。
萬里、何れの行ふ所か、漠にたはる長城の築かる。
豈の台、小子の智ふに、先聖の營む所なり。
茲れ萬世の策を樹ぎ、此れ億兆の生を安んず。
詎に敢へて焦思を憚れ、上京に於いて枕を高くせんや。
北河に武節を秉り、千里に戎旌を卷く。
山川の互みに出沒し、原野は超忽に窮まる。
金を撞ち行陣を止め、鼓を鳴らして士卒を興こす。
千乘萬騎は動き、長城の窟に飲馬す。
秋の昏れ、塞外の雲、霧は暗し關山の月。
岩に緣る驛馬の上、乘空に烽火の發す。
長城侯に借問す、單于の入朝して謁するやと。
濁氣は天山に靜にして、晨光は高闕を照らす。
兵を釋てて仍りて振旅し、要荒の事を方に舉げん。
飲至して旋を告言し、功を清廟の前に歸せん。
【我が儘勝手な私訳】
蕭蕭と秋風が吹く頃、悠悠として萬里の長征を行う。
萬里に、誰が築いたのか、砂漠の中に長城が建っているのを見た。
此の長城は、思うに、昔の聖帝が築いたものである。
此の萬世の政策は受け継がれて、人民の永世太平を願って建設されたものである。
此の長城に拠って、人民は憂慮を逃れ、都で枕を高くして安眠することが出来る。
これから長城の北、北河に軍隊を出し、千里の砂漠に軍陣を張って長征を行う。
長城の外には、山川が果てしなく続き、荒涼とした砂漠が無限に広がっている。
長城の外で、鐘を叩き行軍し、鼓を鳴らし士卒を鼓舞する長征を続ける。
今、千乘萬騎の軍を率いて、ようやっと長城窟まで至り、長城窟にて休息する。
秋の夕方、長城の外には雲が湧き、霧も出て関山の月を見え隠れさせている。
岩陰に作られた砦の馬屋の上、上空には外敵の出現を告げる烽火が上がっている。
長城の砦の長官に尋ねる、突厥の單于がやって来て面会を申し込みはしないかと。
不穏な空気が天山辺りに漂い、朝日が高闕の砦を照らし出しているのを見る。
何時の日か、武器を置いて長征の旅から帰り、突厥平定を報告したい。
何としても、凱旋の祝宴を催し、人民に勝利を報告し、戦功を宗廟に告げたい。
○杜甫に「麗人行」詩や「兵車行」詩があり、白居易に「琵琶行」詩があるように、もともと、『行』自体が楽府の一様式である。楊広は、「飲馬長城窟行」と言う、定型化された様式の中で、それまでの「飲馬長城窟行」詩とはまるで違う世界を構築してみせる。それがこの詩の眼目であることは間違いない。
○名詩には、それなりの場面と人物が要求されることは当たり前のことである。その点、隋の煬帝である楊広は、人物的には何も造作する必要が無い。随分、詩人としては、有利な立場にあると言えよう。
○楊広の「飲馬長城窟行」詩は、そういう条件を見事に生かした佳詩である。ある意味、楊広の「飲馬長城窟行」詩は、楊広でなくては作れない詩である。そういう感慨を楊広が実に見事に詠っていることに驚く。文武両道とは、楊広のような才人を指す言葉であろう。