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法喜寺

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○天竺寺は上中下の三寺からなり、その中心は中天竺寺の天寧万寿永祚禅寺で、天寧万寿永祚禅寺は、中国の五山十刹寺院の十刹の筆頭に数えられる寺である。上天竺寺の法喜寺、下天竺寺の法鏡寺も、その天寧万寿永祚禅寺と同等の寺とされている。

○「杭州:天竺寺简介」には、法喜寺について、次のようにあった。

  (3)上天竺寺︰今名法喜寺,位于北高峰之麓,中天竺寺之南。后 31晋·天福四年(939),道翊结庐于
  此,一夕得奇木,命孔仁谦雕刻成观音像。其后,吴越王钱弘俶感得观音灵告,乃兴一寺,号天竺看经
  院。尔后,观音屡现灵验,泽被生民,

○別に、中国の検索エンジンで、上天竺法喜寺を検索すると、「新浪旅游」HPに、上天竺法喜寺についての詳しい解説を載せる。

     上天竺法喜寺
   浙江省杭州市天竺山有著名三寺,时称“天竺三寺”(通称上天竺寺、中天竺寺、下天竺寺),均系
  杭州古代名刹。下天竺创建最早,距今已有一千六百六十馀年,创建最晚的上天竺寺也有千年历史。清
  高宗乾隆命名上、中、下三竺为“法喜寺”、“法净寺”、“法镜寺”,并亲题寺额。天竺三寺历史相
  近,地域毗近,教观相同,兴衰与共,历史上被誉为“天竺佛国”。灵隐、天竺诸峰,总称“武林
  山”,据《汉书.地理志》:“钱唐有武林山,武林水所出。”《灵山志》称:“宋时定地,以飞来峰
  之南为天竺,以飞来峰之北为灵隐。因北麓为灵鹫寺,故峰为异其名。”灵竺佛教文化为随同杭州历史
  千古流传。
   杭州佛教的传播的寺院的兴建,都与西印度和尚慧理有关。《天竺山志》载:“东晋咸和初,慧理来
  灵隐卓锡,登武林警日:“此乃中天竺国灵鹫山之小岭,何年飞来此地耶?”由此,山名“天竺”,峰
  称“飞来”;後人把峰南所建各寺称“天竺寺”,分上、中、下三竺,慧理遂成灵懈、天竺开山祖师。
  至今龙泓洞口有理公岩、理公塔,塔内葬有慧理骨灰。古时,灵、竺山间猿猱居多,峰上有“呼猿
  洞”,相传系慧理蓄猿处。南朝刘宋时(420——479年),灵隐寺住持智一禅师亦曾养猿山间,他能呼啸招
  猿,人称“猿父”。古代诗人也有“施饭聚猿鸟”、“猿猱扰钟声”、“猿啼一声松子落”等诗句。
  “冷泉猿啸”成为古代钱塘十景之一。
   天竺三寺深藏林间山谷,由下而上,寺宇壮丽,景色清幽,高僧辈出,佛学与诗文并茂。据《湖山胜
  概称》“由月桂峰迤西入佛国山,自下竺,过中竺,至上竺而止,上竺则观音灵感。下竺则古迹为胜,
  三竺之间,云影天光,泉声松籁,岑寂岛空,香凝钟静,耳目心神之会,觉其迷极其光者,岂不超三界
  外乎。”《武林旧事》亦称:“三寺相去里许,皆极宏丽,晨钟暮鼓,彼此间作,高僧徒侣,相聚梵
  肤,真佛国也。”从上天竺可东至龙井,南至琅铛岭,左通五云山,下止梅家坞。天竺,钟灵毓秀,山
  岚云影,佛学教观,源远流长。慧理、宝掌、道翊三天竺开山祖师,之後,能诗善文,佛学造诣很深的
  名僧层出不穷,正如苏轼所说:“天竺禅师有作家”。唐朝大诗人白居易也赞天竺称:“地是佛国土,人
  非俗交亲。”天竺三寺始於晋,兴于唐,盛于宋,为我国东南名刹。南宋时中天竺寺曾被评定为“禅院
  十刹之首”,上、下天竺寺同被列为“教院五山前茅”。
   上天竺寺位於白云峰下,由下眺望峰顶,常有白云笼罩,犹如幢盖覆顶。山上产茶,名为“宝云”与
  下竺,“香林“并称佳品。故苏轼的《和茶诗》中有“白云峰下两枪新”之句。白云峰右下双桧婆娑,
  寺僧常在树下盘膝养神。峰称“双桧峰”,岩称“双桧岩”(即百丈岩)。山上岩穴甚多,古时常有虎豹
  出没。树木森森,花草烂漫,朝融夕凝,以致泉脉众多。古寺前後左右有大悲泉、梦泉、蜥蜴泉、冽
  泉、孙公泉水、幻应井、示现井等,坐禅井等,其中乳宝泉水“悬乳如脂”,其峰遂名“乳实峰”。古
  寺院後有成片古桂飘香,故称“天香岩”。寺前白云峰馀脉,其冈如琴,故称“琴冈”,冈上修竹成
  林,宋时在中印峰、白云峰间名优土成冈,取“愚公移山”之意,命名“愚冈”。古人赞上天竺景色
  称:“万竹参霄,碧荫数里,寂然空谷,惟闻泉声。”为古杭城又一名胜区。後晋天福初(936年),僧人
  道翊在白云峰下结芦修行,称“大名山房”。他在山中见有奇木发光,遂请名匠刻成观音像。据志书
  称:时吴越王钱弘叔梦见白衣人求其修建住所,於是在上天竺开路筑基,建“观音看经院”,於後晋天
  福四年(939年)五月建成,这是上天竺最早的寺皖。
まだまだ長い説明が続くが、略するしかない。詳しくは、以下を参照されたい。
  http://www.lotour.com/snapshot/2007-10-16/snapshot_96379.shtml

○上天竺寺の法喜寺は、とりわけ、鬱蒼とした森の中に存在する。舗装された参道を大勢の参拝客が歩いて来る。大概、先頭の人が旗を立てていて、10人ほどのグループでの参詣が多い。中には数十人単位のグループもあったりする。

○ある意味、現代の中国は空前の観光ブームなのではないか。私には、それが以前の日本の農協団体旅行ブームの再来のように映った。猫も杓子も揃って海外団体旅行に繰り出し、世界各地で顰蹙を買ったことが思い出される。

○それは普陀山にしても、同じことが言えよう。参詣客の皆の、一斉に満足そうな笑顔を見ると、余計にそういうふうに感じられた。この中に、どれほどの敬虔な仏教徒が存在するのだろうか。

○聖徳太子の十七条憲法(三曰)に、
  ・篤敬三寶(篤く三寶を敬へ)
とあるけれども、なかなか肝心の三寶が見えて来ないところに、現代の宗教の悲しさがある。決して、それは中国だけの問題はない。

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