Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Browsing all 1914 articles
Browse latest View live

Image may be NSFW.
Clik here to view.

法喜寺

○天竺寺は上中下の三寺からなり、その中心は中天竺寺の天寧万寿永祚禅寺で、天寧万寿永祚禅寺は、中国の五山十刹寺院の十刹の筆頭に数えられる寺である。上天竺寺の法喜寺、下天竺寺の法鏡寺も、その天寧万寿永祚禅寺と同等の寺とされている。 ○「杭州:天竺寺简介」には、法喜寺について、次のようにあった。   (3)上天竺寺︰今名法喜寺,位于北高峰之麓,中天竺寺之南。后 31晋·天福四年(939),道翊结庐于...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

中天竺寺:法浄禅寺

○上天竺寺の法喜寺に参拝後、歩いて中天竺寺の天寧万寿永祚禅寺を目指すことにする。渓谷に沿って自動車道とは別に参詣道があるので、歩くのに便利であった。 ○少し下ったあたりで、急に雨足が強くなった。濡れると大変なので持参したレインスーツを着用。参詣道はずっと下っているので、歩くには楽である。お参りする際には、下って来る、多くの参詣客と出会ったが、帰り道は同じ方角だからか、ほとんど人と出会わない。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

下天竺寺:法鏡寺

○上天竺寺の法喜寺と、中天竺寺の法浄禅寺との間は、約1劼曚瀕イ譴討い襪、中天竺寺の法浄禅寺と下天竺寺の法鏡寺との間はおよそ200辰曚匹靴なく、ほとんど法浄禅寺と隣接している感じがする。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

杭州:河坊街

○杭州で最も賑やかな通りが河坊街である。街は歩行者専用道路となっている。何時行っても、大勢の人で大賑わいである。 ○3月20日、三天竺参拝を終えたのは午後二時過ぎであった。この後、特に観光するところも予定していなかったので、河坊街に向かうことにする。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

径山寺への道:杭州から余杭鎮まで

○昨年11月に杭州の霊隠寺と浄慈寺に参詣した折、折角であるから、径山寺にも参拝しようと考えた。中国五山は、以下の五寺である。     班位  位 次   寺 名   寺号・具名       位置 状態     五山  第1位    径山寺   径山興聖万寿禅寺    杭州余杭 現存     五山  第2位    霊隠寺   北山景徳霊隠禅寺    杭州 現存     五山  第3位    天童寺...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

径山寺への道:余杭鎮から径山寺まで

○杭州市の西、余杭鎮の余杭站から、径山寺行きのバスが発車したのは朝の9時であった。余杭站には、マイクロバスがたくさん停車していたが、径山寺行きは大型バスであった。乗客10名ほどのうち、5人は男の老人グループである。少なくとも、完全な観光客らしき者は、私を除いて一人も居ない。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

径山寺案内:日本版

○日本と径山寺との関係は深い。ウィキペディアフリー百科事典が載せる径山寺は、次の通り。       径山寺    径山寺(きんざんじ)は、中華人民共和国浙江省杭州市余杭区径山鎮の径山にある仏教禅寺。径山   興聖萬壽禅寺。南宋の五山の一。日本の茶道に影響したとする言説がある。径山寺味噌(金山寺味噌)   の由来や醤油の起源等の諸説との関係が指摘される。日本の文化との関係は深い。   【臨済宗】...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

径山寺案内:中国版

○前回、日本でのインターネット上の径山寺案内を紹介したが、今回は、その中国版を案内したい。中国の検索エンジン百度の「百度百科」が載せる径山寺は、次の通り。       径山寺   【径山寺历史】    径山寺创建于唐天宝年间,距今有1200余年的古刹,为天目山余脉,海拔769米,在浙江余杭径山镇   径山。南宋时香火鼎盛,是江南五大禅院之首。规模极为宏大,有寺僧1700余众,寺庙建筑1000多间。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

径山寺参拝

○中国浙江省杭州市余杭径山鎮径山にある径山寺に参拝したのは2013年3月21日のことだった。朝6時40分に杭州市を出発し、7時半に余杭鎮の余杭西站に到着し、それから9時に余杭鎮の余杭站を出発し、径山寺に到着したのは、11時であった。およそ、杭州から4時間を費やして、ようやく径山寺に辿り着くことができたわけである。兎に角、径山寺は遠い。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

聖一国師:円爾

○径山寺山門脇の細道を辿ると、左手に「道○亭」(○:さんずい+関の字)と言うものがあって、二人の僧侶像が立ち並んでいるのが見えた。 ○行ってみると、脇に石碑があって、無準禅師(1177~1249)と圓爾辯圓(1202~1280)の業績が紹介されている。だから、僧侶像は無準禅師と円爾の像であることが判る。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

無準禅師

○径山寺が殷賑を極めたのは、径山万寿寺の第34世住持、無準禅師の頃ではなかったか。ウィキペディアフリー百科事典が案内する無準禅師は、次の通り。       無準師範    無準 師範(ぶじゅん しばん、淳熙4年(1177年) - 淳祐9年(1249年))は、中国・南宋時代の   禅僧。名は師範、俗姓は雍。四川省綿州梓潼県の人。宋代禅林中の巨匠で理宗から仏鑑禅師を諡された。   【業績】...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

泉湧寺不可棄法師俊芿

○中国の検索エンジン百度の「百度百科」が、径山寺の項目で案内するのに、径山寺に参禅した日本人僧の名を次のように載せている。   ・日本名僧俊芿、圆尔辨圆、无本觉心、南浦昭明等先后来寺学禅,一住数年。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

法燈円明国師:心地覚心

○径山寺に参禅した日本人僧の三人目として、法燈円明国師、心地覚心を案内したい。ウィキペディアフリー百科事典が案内する心地覚心は、次の通り。       心地覚心    心地 覚心(しんち かくしん、承元元年(1207年) - 永仁6年10月13日(1298年11月18日))は、   鎌倉時代の臨済宗の僧。信濃国(現在の長野県松本市神林)生まれ。姓は恒氏。無本と号した。京都...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

円通大応国師:南浦紹明

○径山寺に参禅した日本人僧として、中国の検索エンジン百度の「百度百科」が載せているのは、俊芿、圓爾辯圓、無本覚心、南浦紹明の四名である。それぞれの入宋の時期は、次の通り。   ・俊芿=慶元5年(1199年)   ・圓爾辯圓=嘉禎元年(1235年)   ・無本覚心=建長元年(1249年)   ・南浦紹明=正元元年(1259年) ○ただ、中国の検索エンジン百度の「百度百科」は、...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

真壁の平四郎:法身性西

○前回までに、径山寺に参禅した日本人僧として、中国の検索エンジン百度の「百度百科」が載せている、俊芿、圓爾辯圓、無本覚心、南浦紹明の四名を紹介した。しかし、径山寺に参禅した日本人僧は、決して、それだけだったのではない。もっと数多くの日本人僧が径山寺を訪れていることを忘れてはなるまい。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

おしえて邪馬台国5

○朝日新聞の特集記事「おしえて邪馬台国」が、随分久し振りに、今朝の新聞に書かれていた。見出しと概略には次のようにあった。       「斯馬国」は糸島の志摩?       銅剣・集落 史料を後押し    「魏志倭人伝」には、邪馬台国をはじめとする約30国の弥生時代のクニグニが   列挙されている。その3分の2を占める名前だけしかないクニのひとつが「斯馬国」だ。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

径山古道

○径山寺界隈を散策している時に、「登径山古道、雅趣又健身」の立て看を見付けた。径山山頂まで全程約2850米とあった。 ○径山鎮から径山寺まで、バスで登って来たが、相当な道程であった。だから、径山寺付近が径山の山頂に近いところだと認識していたが、径山はまだまだ深い山であることが判る。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

径山寺前広場

○径山寺に参拝後、12時過ぎから13時20分まで径山寺前広場に居た。ちょうど昼時だったので、食事をしたいと思ったが、広場前の4,5件ほどの店店は開いているのだけれども、一人も食事している人が居ない。店の方は店前にいらっしゃるのだけれども、さして商売気があるわけでもなく、とんとお客さんに対して無関心の風情であった。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

西湖文化広場

○径山寺から杭州の武林門北バス停に帰着したのは午後4時前であった。相当疲れていたが、武林門北バス停のすぐ先に武林门码头が存在することを、日本に居る時、インターネットで調べていたので、確認しに行った。 ○武林门码头から京杭運河を走る水上バスが出ていることを確認していた。明日はその水上バスに乗ることを予定しているので、事前にその様子を見ておこうと思った次第である。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

杭州宏都宾馆ホテル

○これまで、杭州を2回訪れている。最初は2011年10月で、この時はパック旅行であったから、自分でホテルを選んだのではなかった。その時のホテルは、杭州市艮山西路288号にある东方豪生大酒店で、五星の立派なホテルであった。その時の様子については、以下のブログに書いている。   ・書庫「江南の秋」:ブログ『杭州市の朝』...

View Article
Browsing all 1914 articles
Browse latest View live