○径山寺に参拝後、12時過ぎから13時20分まで径山寺前広場に居た。ちょうど昼時だったので、食事をしたいと思ったが、広場前の4,5件ほどの店店は開いているのだけれども、一人も食事している人が居ない。店の方は店前にいらっしゃるのだけれども、さして商売気があるわけでもなく、とんとお客さんに対して無関心の風情であった。
○一通り、店店を見て回ったが、どの店も食堂と土産物店との両方を営んでいるようであった。店の方が店前に居るのに、まるで商売気がない。それに食堂の方も全くやる気のない趣である。これでは食べようと思っても、食べる気がしない。
○店前には店員さんらしき人のほかに、犬がだらしない姿で寝そべって居る。やはり、ここは天上世界であって、世俗的な下界とは別の世界なのかも知れない。
○そう思っていると、下から車がやって来た。すると、数軒の店店から、若い女性が店から飛び出して来て、盛んに客引きをしている。店の前に車を駐車させて、お客として取り込もうと懸命の様子である。要するに、私があまり上等の客では無いことを知っていて、対応しているようである。バスで来るような客は上客ではないのである。
○店の脇にニワトリが10羽ほど、たむろしていた。よくよく見ると、ニワトリだけではなく、アヒルも混じっている。こちらは集団行動で、一羽で歩き回ることはしない。見ていると、どんどん外へと出て行こうとするのだが、一気に出て行くのではなく、用心しながら隊列を組んで少しずつ出て行く。それもニワトリやアヒルにもしっかりした上下関係があるようで、生意気なアヒルが親分みたいなアヒルに制裁を受けているような光景も目にした。なかなかどの世界も厳しい。
○余杭站から、径山寺行きのバスに乗車した際、キャノン製の大型望遠レンズと三脚を担いだ中年男子を見掛けたが、その男性が近付いて来て、話し掛けて来た。日本人かなと思っていたら、言葉は中国語だった。
○中国語は話せない、書いてくれたら、理解できるとメモ帳を差し出す。相手は驚いたふうで、早速、何処の国の人かと問う。日本人だと答えると非常に驚いて、あれこれ話することができた。男は杭州から雑誌の取材に径山寺の写真を撮りに来たと言う。
○話しているうちに、老人が仲間に加わり、さらに話が弾んだ。その老人が径山寺から日本に仏教が伝えられたのだと言う。私はその通りだ、だから、こうやって遙々径山寺までやって来て、それを確認していると答える。老人は満足そうに肯いた。
○それまで、まるで退屈していたが、カメラマンの男と老人のお陰で、あっという間に、時間は過ぎ、13時20分にバスは出発した。行きと同じメンバーがバスには乗車していた。カメラマンの男が隣に座ってくれて、あれこれ教えてくれた。
○径山鎮まで下ると、民家が見えて来る。このあたりの民家は非常に立派な構えの家々である。カメラマンの男の話では、お茶と筍がここの名産で、それで裕福な家が多いとのこと。
○そういえば、日本の茶処、静岡のお茶は、径山寺で修行した聖一国師、円爾が故郷駿河国に持ち帰ったものである。径山茶が日本のお茶のルーツでもある。
○お陰で、帰りは楽しい旅であった。余杭站でカメラマンの男と別れた。彼は誰かと待ち合わせしているようだった。私は余杭西站へ行き、杭州行きのバスに乗る。バスはすでに待機していたので、待ち時間は全くなかった。
○杭州、武林門北バス停に帰着したのは午後3時前50分であった。朝6時40分からの長い長い径山寺参詣の旅がようやく終了した。