西湖:白堤
○2013年3月22日、早朝6時前に、朝の散歩に西湖、孤島へ出掛けた。宿泊した、杭州市下城区体育场路407号にある、杭州宏都宾馆ホテルからは約2劼曚匹世隼廚錣譴襦 ○歩いて行っても良いのだが、天気が今一つで、心配だった。それで、傘を持参しての散歩である。だから、ホテルから西湖、孤島まではタクシーで行き、帰りは歩いて帰ることとした。...
View Article京杭大運河:武林门码头
○2011年10月に江南周遊の旅をした際、朝の散歩の途次、初めて京杭大運河を見た。宿泊した东方豪生大酒店ホテルは江干区艮山西路288号に存在していて、すぐ近くに艮山运河公园があって、公園の脇を流れている川のようなところが京杭大運河であった。 ○その時に書いたのが以下のブログである。 ・書庫「江南の秋」:ブログ『京杭大運河』...
View Article京杭大運河:拱宸桥
○京杭大運河を武林门码头から水上巴士1号线に乗って出発したのは、3月22日、朝の9時頃であった。向かうのは、拱宸桥码头である。料金は統一で、3元。 ○現代は、甚だ便利な世の中で、インターネットであれば、日本に居て、中国浙江省杭州の情報を、細かいところまで手に入れることができる。京杭大運河の水上巴士1号线の情報だって、以下の住所で乗り場から時間、料金まで、全部知ることができる。...
View Article杭州運河:東河遊覧
○杭州市内には、それこそ縦横無尽に運河が張り巡らされている。京杭大運河は、その基幹路線なのであるが、運河から眺める杭州市の風景も見てみたいものの一つであった。 ○それには、水上バスが極めて便利である。中国では水上巴士と言う。杭州には1号线から8号线までが存在する。料金は統一され、3元で、頗る安い。(日本円で45円ほど。)...
View Article杭州特産:龍鬚糖
○3月20日、杭州で最も賑やかな通りである河坊街を散策している時、行列のできている店があった。何を売っている店なのか、気になって、覗いてみた。 ○そこは「龍鬚糖」と言うお菓子を売っている店であった。人気のあるお店なのか、10人ほどの行列ができている。店で作って売る、実演販売のお店であった。眺めていて、美味しそうだったので、行列に並び、2箱購入した。確か、1箱10元だったかと思う。...
View Article上海・洛迦山・余姚・紹興・杭州の旅
○2013年3月16日から23日にかけて、上海から洛迦山・余姚・紹興・杭州の旅をしてきた。今回の旅は上海から普陀山まで船で行き、洛迦山参詣の後、寧波を経由して余姚に行き、紹興から杭州まで旅した。...
View Article「會稽東冶之東」の意味すること
○いわゆる「魏志倭人伝」に、 ・計其道里當在會稽東冶之東。 と言う記録があって、多くの人を悩ませている。 ○これは、 ・其の道里を計るに、當に會稽東冶の東に在るべし。 と読んで、 ・邪馬台国までの道程を考えると、ちょうど會稽東冶の東に存在する。 の意味になる。邪馬台国が『會稽東冶の東に存在する』という記録の意味することは大きい。邪馬台国を特定する上に於いて、無視できない記録となっている。...
View Article「會稽東冶之東」の南島路
○前回、「魏志倭人伝」の記す、 ・計其道里當在會稽東冶之東。 がどういう意味であるかを案内した。それは邪馬台国が本当に『會稽東冶之東』に存在することであった。そのルートも、具体的に、 ・寧波→舟山群島(150辧 ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧 ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧 ・トカラ列島悪石島(50辧泡トカラ列島諏訪之瀬島(24辧...
View Article「所有無與儋耳朱崖同」の意味すること
○前回、「魏志倭人伝」が記す『會稽東冶之東』記事について言及した。同じように、「魏志倭人伝」には、邪馬台国を規定する上で、避けて通れない記録として、 ・所有無與儋耳朱崖同。 の記事がある。 ○「魏志倭人伝」が、 ・有無する所は儋耳朱崖と同じ。 と記すものは、当然、その前に案内する、 ・其風俗不淫。男子皆露紒以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫。...
View Article「魏志倭人伝」の主題:倭国三十国の全貌
○「魏志倭人伝」を読んでいるうちに、ふと、陳寿が「魏志倭人伝」で伝えたかったものは、何なのだろうと思った。いわゆる主題と言われるものである。「魏志倭人伝」の主題は、一体、何なのだろうか。 ○今更、「魏志倭人伝」の主題などを問題にすること自体、変な気がしないでもないが、改めて、「魏志倭人伝」の主題を問題にすると、意外と、「魏志倭人伝」の主題は問題にされていないことが判る。...
View Article百越の倭国
○前々回、 ・「所有無與儋耳朱崖同」の意味すること と題して、百越の国の一つとして、倭国が陳壽に認識されていたことを書いた。それが上記の『所有無與儋耳朱崖同』の意味することであろうと案内した。...
View Article邪馬台国の風景
○これまで、陳壽が「魏志倭人伝」で案内する倭国や邪馬台国について述べて来た。勘違いがあるといけないので、補足しておくと、中国と倭国の交流は、会稽・寧波を通じて盛んに行われていたことを「魏志倭人伝」は教えている。 ○魏国との交流は、景初2年(238年)か3年に初めて行われたかも知れないが、それ以前から呉国を通じて倭国は中国との交流を続けていた。それは、「魏志倭人伝」に、...
View Article続々・卑弥呼の肖像
○前回、「邪馬台国の風景」で触れたように、薩摩半島が邪馬台国であり、狗奴国が大隅半島と言うことは、「魏志倭人伝」を読む限り、間違いない。邪馬台国畿内説とか、邪馬台国北九州説は、まるで何の根拠もない話と言うしかない。...
View Article続々・卑弥呼の鬼道
○卑弥呼の鬼道ほど、誤解を受けているものもない。そのほとんどのものがシャーマニズムとして案内されている。しかし、「魏志倭人伝」を読むと判るように、三世紀の倭国は立派な国際社会である。そういう時代にシャーマニズムで国が治められると考える方がどうかしている。...
View Article狗奴国の風貌
○邪馬台国畿内説論者は、狗奴国を熊野に比定なさることが多い。それは熊野が大和国の南に位置するからである。その邪馬台国畿内説論者の中では、最近「狗奴国」濃尾平野説まで飛び出しているらしい。何とも考古学者とはお目出度い人々である。邪馬台国が畿内に存在することを「魏志倭人伝」が否定しているのに、「狗奴国」をわざわざ濃尾平野に比定しようとする。こうなると、それは学説と言うより、妄想以外の何物でもない。共同妄...
View Articleブログ記事数:2000回
○本ブログの開設は、2007年12月12日となっている。昨日、総ブログ記事数が2000回を数えていることに気付いた。よくもこんなに書いたものだと自分のことながら感心した。 ○2007年12月12日から昨日までの日数を計算したら、2048日となった。その中で2000回書いたと言うのである。まさに、継続は力なりと思う。...
View Article韓国岳登山:2013年7月22日
○写真を見て確認したのだが、2012年9月25日に、霧島山高千穂峯に登っている。2013年2月13日には、同じ霧島山の韓国岳に登り、2月16日には開聞岳に登っている。 ○そういう登山の記録をブログに書いているものとばかり思っていた。書庫「山の博物誌」を見ても、山の記録は2010年8月の高隈山登山以来、まるで書いていない。 ○もっとも、その間、...
View Article神代三山陵の先坣僑位
○前回、「狗奴国の風貌」を書いて、狗奴国を代表する風景が神代三山陵であることを紹介した。狗奴国には、現在でも救仁の松原が存在し、救仁郷さんが居住なさっている。ここでは「救仁」の名は、極めて普通のことである。 ○神代三山陵の比定地についても、そろそろ考えて良い時期に来ているような気がする。神代三山陵の研究で白尾國柱を抜きに考えることはできない。彼の名著「麑藩名勝考」から学ぶことは多い。...
View Article陳壽の倭国観
○「魏志倭人伝」を読んで、邪馬台国が薩摩半島であることを確認したのは、もう20年以上も前のことである。当時の関心は専ら大和三山にあった。その大和三山が薩摩半島にそのまま存在することを知り、そこが日本発祥の地であり、邪馬台国であると理解した。 ○大和三山は、奈良県橿原市に存在する山として知られる。その大和三山に初めて登ったのが1992年3月28日のことであった。大和三山とは、次の山々を指す。...
View Article上海から長沙へ
○これまで寧波を中心に浙江省ばかり5回続けて旅行して来ている。この辺りで、一回視野を広げる意味でも、長江中流域あたりを廻ってみたいと考えていた。 ○幸い、6月に上海に住む甥のところへ行く機会があって、あれこれ調べていたら、春秋航空で上海から長沙までの直行便があることを知った。飛行機を使って長沙まで行き、そこから長江を下ってくる旅行を思い付き、情報を集めて、計画を練った。...
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