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杭州運河:東河遊覧

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○杭州市内には、それこそ縦横無尽に運河が張り巡らされている。京杭大運河は、その基幹路線なのであるが、運河から眺める杭州市の風景も見てみたいものの一つであった。

○それには、水上バスが極めて便利である。中国では水上巴士と言う。杭州には1号线から8号线までが存在する。料金は統一され、3元で、頗る安い。(日本円で45円ほど。)

○京杭大運河を走る水上巴士1号线の他では、水上巴士2号线(武林门码头-紫荆花路码头)が人気らしいが、私が眺めてみたかったのは、杭州の町中を走る中河や東河を走る水上巴士7号线や、水上巴士8号线からの風景であった。

○西湖と京杭大運河の間に杭州市があって、そこを南北に走っている運河が3本存在する。西側の西湖から東へ順に、中河、東河、贴沙河と続き、最後は京杭大運河となる。その中河を走るのが水上巴士8号线で、東河を走るのが水上巴士7号线である。

○3月22日、朝の9時に、武林门码头から水上巴士1号线に乗って拱宸桥码头まで行き、再び武林门码头へ帰って来たのは、11時過ぎであった。今度は环城北路を東へ1、5劼曚氷圓辰董東河と环城北路が交差する坝子桥まで行く必要があった。

○それで、武林门码头から环城北路に出てタクシーを拾って、タクシーの運転手さんに行く先を告げると、坝子桥码头は無いとおっしゃる。中国の運転手さんは日本とはまるで違う。日本なら行く先を告げると、何も言わずにそこまで行くけれども、中国のタクシーの運転手さんは、違う。目的のものが無いと、そこには無いから行かないとおっしゃる。これまで何度かそういうことがあった。親切と言えば親切なのだが、どうしてもそこまで行きたい者にとっては迷惑極まりない。

○今回も、運転手さんは、杭州に住んでいる者がそういうのだから、間違いない。そこにはそういうものは存在しないとばかりに譲らない。仕方が無いから、兎に角、そこまで行ってとお願いした。何度もお願いしたら、何にも無いよ言いながら、仕方なく坝子桥近くまで連れて行ってくれた。お礼を言ってタクシーを下りて、坝子桥码头を探した。

○兎に角、東河さえ確認すれば、坝子桥码头が見付かるはずである。そう思って東河を尋ねて行ったら、何とか坝子桥を見付けることができた。現在、橋は修復中で、坝子桥のたもとには、鳳凰亭なる建物も存在した。その先に坝子桥码头が見えてほっとした。

○坝子桥码头は、小さな船着き場に過ぎない。船もまるで小さく、定員は多分10人以下である。行ったら、船の充電中で、しばらく待てとあった。何とも、のどかな観光である。木立の中で20分ほど待ったら、小屋から小父さんが出て来て、船の準備を始めた。乗客は私を含めて5名である。

○水上巴士7号线は、坝子桥码头から梅花碑码头まで、およそ3劼竜イ任△襦その間、次の船着き場が存在する。
  ・坝子桥码头 - 宝善桥码头 - 广安新桥码头 - 潮鸣寺巷码头 - 菜市桥码头 - 葵巷建国路口码头 -
   浙二医院码头 - 梅花碑码头 - (共8站)

○東河の周囲は、鬱蒼とした緑に覆われた川岸であった。とてもここが大都市、杭州市の町中だとは思えない。まるで深山の中に居るみたいである。町の喧噪も全くここには届いていない。しばらく行くと、橋の下を潜る。そのあたりで少し喧噪を感じるくらいである。橋の上からは、人が珍しそうに下を見ている。

○それに、橋を潜る前と橋の先とでは風景が一変する。それがまた面白い。3月末で、ちょうど花の季節でもあり、桃や木蓮など、様々な花が目を楽しませてくれた。柳の新緑も美しい。途中、桜の木もあって、満開状態であった。

○船着き場が各所にあると上記したが、船は船着き場を通過するだけで、乗客のうちの二人が降りたところ以外の船着き場には停船すらしなかった。約3劼曚匹竜イ鬘苅以ほどかけて船は終点の梅花碑码头に到着した。

○終点の梅花碑码头は河坊街で、東河そのものが河坊街にぶつかったところで終わりとなっていた。終点まで行ったのは3人だけであった。あまり人の多いルートでは無いようである。

○杭州の水上巴士は1号线から8号线まであるけれども、現在運行中なのは1号线2号线5号线7号线だけのようである。そのうち、今回1号线と7号线に乗ることができた。

○中国には、「南船北馬」の言葉がある。少しだけ、その雰囲気を味わった気がした。

      南船北马
  【名称】南船北马
  【拼音】nán chuán běi mǎ
  【解释】1、南方人善于驾船,北方人善于骑马。指各人均有所长。
      2、指南北交汇之地,南人北上改骑马,北人南下改乘船。
  【出处】唐·孟郊《送从最校书简南归》:“北骑达山岳,南帆指江湖。”
  【用法】作宾语、定语;用于书面语
  【近义词】辕楫交替、舍舟登岸
   南船北马我国古代的交通运输方式是南方以船为主,北方以马为主。其原因是南方气候湿润,降水丰
  富,地表河网密布,因此为适应“水乡”的船舶运输便应运而生。而北方多干旱、半干旱气候,草场广
  布,畜牧业发达,马匹除了提供乳肉产品外,又以其耐力好、速度快而被北方人民驯化为代步工具,成
  为北方大地的交通工具。
   京杭大运河作为世界最长、最著名的人工运河,主要是因漕运而兴起的。她不仅是历代封建王朝的经
  济命脉,也是中华民族悠久和灿烂历史文明的重要象征和载体。淮安,在京杭大运河发展史上,具有特
  别重要的地位。淮安,扼淮牵运,明清时漕运总督驻节,为漕运中枢;黄河夺淮期间,为黄淮运交汇
  处,是治理关键和总河驻节之所。康熙三大要政中,漕运、河务,淮安居其二;淮北盐集散中心,著名
  税关淮安关所在。淮安在明清时期成为贡道转轴,“漕政通乎七省”的漕运总督驻节之地,从而成为漕
  运的中枢 。今淮安清江浦有:“南船北马、舍舟登岸”碑。

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