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「會稽東冶之東」の意味すること

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○いわゆる「魏志倭人伝」に、
  ・計其道里當在會稽東冶之東。
と言う記録があって、多くの人を悩ませている。

○これは、
  ・其の道里を計るに、當に會稽東冶の東に在るべし。
と読んで、
  ・邪馬台国までの道程を考えると、ちょうど會稽東冶の東に存在する。
の意味になる。邪馬台国が『會稽東冶の東に存在する』という記録の意味することは大きい。邪馬台国を特定する上に於いて、無視できない記録となっている。

○普通に考えるなら、中国の記述法では「大地名+小地名」であるから、『會稽東冶』が意味するものは、『会稽郡東冶県』とするしかない。それが常識である。

○『会稽郡東冶県』は、現在の福建省福州市閩侯県あたりだとされる。福建省福州市閩侯県あたりで、倭国との関係を説明することはなかなか難しい。と言うか、全く無理な話である。

○それに、福建省福州市閩侯県あたりが『會稽東冶』なら、邪馬台国は台湾島とするしかない。何故なら、福建省福州市から東へ250匚圓と、そこは台湾島最北端近くになる。そうであれば、誰が考えても邪馬台国は台湾島と言うことになる。

○ただ、「魏志倭人伝」が記録する邪馬台国はそれだけではない。「魏志倭人伝」には、
  ・自郡至女王國萬二千餘里。
の記録もあって、それに拠ると、帯方郡から邪馬台国までの距離数は『萬二千餘里』だと判る。

○「魏志倭人伝」は、帯方郡から末廬国までをちょうど『萬餘里』としている。そうすると、末廬国から邪馬台国までは『二千餘里』しかない。『二千餘里』の距離数は対馬から末廬国までの距離数と一致する。それでは到底、台湾島まで行くことはできない。

○そういう矛盾が「魏志倭人伝」の記述には存在すると多くの方がおっしゃる。本当だろうか。実際、「魏志倭人伝」の『會稽東冶』の記事は、何か別のことを意味するのではないだろうか。そういうふうに考えた。

○それを知るには、『會稽東冶』を理解するしかない。それで、『會稽東冶』の現地である、会稽(現在の紹興市)や、寧波、杭州を何度も訪れている。

○結果、「魏志倭人伝」の『會稽東冶』の記録は、もともと、『會稽東明』だったとするしかない。それを、おそらく、唐代あたりに、「大地名+小地名」の常識に基づいて、『會稽東明』が『會稽東冶』に書き改められたものと推測される。

○『東明』とは、現在の寧波あたりを指す言葉である。それを知らなかった者が、『會稽東明』が気になり、『會稽東冶』に改めた。長安あたりの都人が、越国あたりの地理に不案内だったことが原因だと思われる。

○2011年10月、2012年3月、7月、11月、2013年3月と、これまで5回、杭州や紹興、寧波を訪れて来た。それで、こういう結論に到った。

○もっとも、無目的に、杭州や紹興、寧波を訪れたわけではない。おそらく、『會稽東冶』が、寧波あたりを意味する言葉ではないかとは、推測されていた。それで、寧波へ行く必要性を感じて出掛けたわけである。

○すでに、2011年8月には、次のブログを書いていて、

  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『会稽東冶之東』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35419865.html
『會稽東冶』が、寧波あたりを意味する言葉だと推測している。それは邪馬台国から中国を目指すルートの解明から出現したものであった。結果、寧波から邪馬台国までを、次のように案内している。
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島(50辧泡トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

○「魏志倭人伝」の『會稽東冶』の記録が、もともと、『會稽東明』であったことについても、2012年6月に、以下のブログに書いている。それは2012年3月に、初めて寧波を訪れて発見したことであった。

  ・書庫「寧波漫歩」:ブログ『会稽東冶之東:検証』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36705981.html

○また、今年3月にも、天孫降臨の世界山、霧島山高千穂峯について言及した際、『会稽東冶之東』について、次のように触れている。

  ・書庫「天孫降臨の世界山』:ブログ『邪馬台国の所在地:会稽東冶之東』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37572755.html

○これまで、5回、杭州や紹興、寧波を訪れた。それでも、まるで物足りないものを感じている。まだまだ調べたいもの、見たいものがいくらでも存在する。それほど、杭州や紹興、寧波は日本との関係が深い。機会を見付けて、再度訪れようと考えている。

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