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「會稽東冶之東」の南島路

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○前回、「魏志倭人伝」の記す、
  ・計其道里當在會稽東冶之東。
がどういう意味であるかを案内した。それは邪馬台国が本当に『會稽東冶之東』に存在することであった。そのルートも、具体的に、
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島(50辧泡トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧
であることを紹介している。

○このルートは、後世、遣唐使船の南島路として案内されるルートとなる。しかし、実際は、もともと、中国への渡海ルートとしては、最も古く、最も利用されていたルートであることが判る。

○それは、このルートが新しく開発されたルートではなくて、本来、交易に利用されていたルートをそのまま利用したルートであることを意味する。

○中国でも、そのことは認識されていた気配がある。何故なら、中国では『倭』は百越の一つと言う認識があるからである。越国の中心が会稽であることは言うまでもない。その会稽を中心に、越国には様々な民族種族が入り乱れていた。それが百越と言う概念である。倭は、その一つに過ぎないと言う認識が意味するものは大きい。

○「魏志倭人伝」が記す、
  ・計其道里當在會稽東冶之東。
も、倭が百越の一つであると言う伝統的概念を踏襲したものと考えれば、納得できる。少なくとも、「魏志倭人伝」を書いた陳壽には、そういうふうに認識されていた。本当は、
  ・計其道里當在會稽東冶之東。
は、そういうふうに読むべきなのだろう。

○南島路を詳しく案内するものも、ほとんどない。本ブログでは、吐噶喇列島について、
  ・書庫「吐火羅の旅」:19個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1185562.html?m=l&p=1
  ・書庫「吐噶喇往還」:30個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1205424.html?m=l
  ・書庫「小宝島訪問」:16個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221591.html?m=l
として、すでに案内済みである。

○また、南島路の中心が宝島とともに硫黄島にあることも、これまでに調査済みである。その硫黄島についても、
  ・2009年5月30日(土)
  ・2009年6月11日(木)
  ・2010年10月30日(土)・31日(日)
  ・2011年3月13日(日)から18日(金)
  ・2011年11月25日(金)から29日(火)
  ・2012年8月22日(水)
と、6回訪れ、以下のブログで紹介している。
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:38個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1181163.html?m=l
  ・書庫「硫黄島」:42個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1199428.html?m=l
  ・書庫「三島村秘史」:30個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1199954.html?m=l&p=1
  ・書庫「Camellian硫黄島」:30個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1201068.html?m=l&p=1
  ・書庫「ツワブキの硫黄島」:33個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1203312.html?m=l
  ・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:20個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1212742.html?m=l

○『會稽東冶之東』が『會稽東明之東』であることを理解するには、杭州や紹興、寧波を知らない限り、容易なことではない。同じように、南島路も、実際自分の足で確かめ、実見するしか、方法はない。

○「魏志倭人伝」を正確に読むには、相当量の知識とともに、倭国に対する土地勘が重要であることは言うまでも無い。誰も知らないことは語れない。対馬や壱岐、それに九州島を理解しないで、邪馬台国を語ること自体が何とも無益なことかを理解している人は少ない。

○それに邪馬台国はすでに発見されている。併せて狗奴国も。そんな時代に、未だに邪馬台国が畿内だとか北九州だと放言なさる方の判断は何処かおかしい。第一、「魏志倭人伝」にそういうふうに書かれていない。まずは「魏志倭人伝」をよく読むことだろう。

○時代は着実に卑弥呼の墓発掘へと進んでいる。そういう時代に、未だに邪馬台国畿内説や北九州説に妄執する人は、まさしく時代遅れだと言うしかない。今どき、考古学から邪馬台国が出現することを本当に信じている人が居るのだろうか。瓢箪から駒は、現実にはあり得ない話である。

○私たちは陳壽を信じて、ひたすら丁寧に「魏志倭人伝」を読むしかない。「魏志倭人伝」を読む限り、陳寿は信じるに値する偉大な史家である。

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