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神代三山陵の先坣僑位

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○前回、「狗奴国の風貌」を書いて、狗奴国を代表する風景が神代三山陵であることを紹介した。狗奴国には、現在でも救仁の松原が存在し、救仁郷さんが居住なさっている。ここでは「救仁」の名は、極めて普通のことである。

○神代三山陵の比定地についても、そろそろ考えて良い時期に来ているような気がする。神代三山陵の研究で白尾國柱を抜きに考えることはできない。彼の名著「麑藩名勝考」から学ぶことは多い。

○大和国に大和三山がある。奈良県橿原市に行けば、普通に大和三山を見ることが出来る。大和三山と命名されるほどの山であるからには、さぞかし立派な山だろうと思われるに違いない。それが標高200辰砲盻爾燭覆ぞ山だとは、とても信じられない。

○また、大和三山を名乗るからには、当然、大和国を代表する山々でなくてはなるまい。そういう条件を現存する大和三山は、まるで充たしていない。つまり、現在の大和三山は、もともとの大和三山ではないことが判る。

○そういうふうに考えると、本来の大和三山は何処に存在するかが気になる。そのことについては、すでに以下に書いているので、そちらを参照されたい。
  ・書庫「世界上最美麗華貴之城:杭州」:ブログ『邪馬台国の風景』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37988457.html

○つまり、奈良県橿原市に存在する現在の大和三山は、あれは大和三山のレプリカであることが判る。
  ・畝傍山(うねびやま、198,5m)
  ・天香久山(あまのかぐやま、152m)
  ・耳成山(みみなしやま、139,2m)
古代の人々が、実に見事なレプリカを作っていることに感心する。

○当然、こういうレプリカを作った人々が、原大和三山のもともとの住人であったことは間違いあるまい。それが大和三山の歴史である。

○ところが、何度も大和三山を訪れているうちに、三山信仰と言うものがあって、大和三山が決して単独のものではないことを理解した。そういう三山信仰の一つが神代三山陵の先坣僑位である。

○もともと2007年ころ、吉野山を研究している中で出現したのが神代三山陵の先坣僑位であった。吉野山については以下を参照されたい。

  ・書庫「吉野山の正体」:29個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/389714.html?m=l&p=1

○神代三山陵の研究はもっと古い。2005年あたりには調べ終わっていた。本ブログを始めた最初の頃に本ブログにも掲載している。

  ・書庫「神代三山陵の研究」:16個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/144322.html?m=l&p=1

○現在、神代三山陵の比定地は、次の通り。
  ・初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  ・二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵
  ・三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○しかし、真実の神代三山陵は、次のようにするしかない。
  ・初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  ・二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山(高屋山)
  ・三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○大和三山の南には、神代三山陵の先坣僑位が存在する。そのことを理解したのは2008年頃であった。ちなみに、神代三山陵の先坣僑位とは、次のようなものである。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=吉野山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=熊野本宮

○鹿児島県肝属郡肝属町に存在する神代三山陵の先坣僑位が奈良県と和歌山県に跨って存在する。大和三山が小さなレプリカと変形したのに対し、神代三山陵の先坣僑位は、何とも雄大なスケールの大きいものとして存在している。ある意味、それが大和朝廷に於ける、邪馬台国と狗奴国の受容の仕方の違いであろう。

○本ブログでは、これまで、神代三山陵の先坣僑位について、何度も書いている。
  ・書庫「大和三山」:ブログ『邪馬台国の大和三山』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35039855.html
  ・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『吉野山の正体』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34944422.html?type=folderlist
  ・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『高野山が高屋山陵であること』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34949580.html?type=folderlist
  ・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『吾平山陵の正体』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34955902.html?type=folderlist
  ・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『吾平山陵の正体◆
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34962642.html?type=folderlist
  ・書庫「天孫降臨の世界山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37562773.html
  ・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36153537.html
  ・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『大和三山と神代三山陵』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36248569.html
  ・書庫「天孫降臨の世界山」:ブログ『神代三山陵の探求』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37560049.html

○吉野山・高野山・熊野本宮とも、2004年に、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、そろって世界文化遺産に認定されている。日本の歴史を遡れば、本当は、その前に神代三山陵を認定すべきであろう。肝心の本家本元は放置されて、先坣僑位の方が世界遺産になっている。おかしな話である。

○もっとも、吉野山・高野山・熊野本宮より遙かに神代三山陵の方に歴史的価値があると判断する知性が現代の日本人に失われている結果なのかも知れない。

○三世紀に「魏志倭人伝」を著した陳壽の実力に今更ながら驚く。邪馬台国も狗奴国も、陳壽のお陰で現代に於いて、認知することができるのだから。

○まずは、何より、神代三山陵を訪れてみることだろう。学者先生のように、見たことのないもの、知らないものを勝手に喋ったところで何にもならない。

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