○昨日、2016年12月7日(水)は、非常に天気が良かった。家からは霧島山がきれいに見えていた。今年は全然山に登っていない。無性に山へ登りたくなって、午後からではあったが、霧島山、高千穂峰へ登って来た。
○我が家から霧島山、高千穂峰登山口の高千穂河原までは、およそ35劼任△襦C訖を済ませてから、飲料水・食料などを購入して高千穂河原へ到着したのは、午後2時前であった。
○準備を済ませて、登山開始はちょうど14時で、ガレ場まで30分、ガレ場を抜けて御鉢まで更に30分を要した。山頂到着は15時40分だったから、登るのに100分を要したことになる。
○登山マップでの標準登山時間は、90分とある。ここのところ、だいたい100分で登ることが多い。前回の高千穂峰登山は、2016年4月14日であったから、久し振りの登山であった。
・書庫「 山の博物誌」:ブログ『高千穂峰登山:2016年4月14日』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/851409.html
●最近、書庫「日向国の万葉学」の中で、天孫降臨の世界山、高千穂峰を取り上げて来ている。天孫降臨の世界山、高千穂峰が何処に存在するのか。日本人にとっては、そのルーツに関する重大事であるにも拘わらず、高千穂峰が何処であるかさえ規定出来ない。それが現代日本の歴史認識の現状である。と言うか、日本人は、天孫降臨の世界山を追求することを諦めていると言えるのではないか。
●実際、最近日向国を問題にした安本美典著「邪馬台国は、その後どうなったか」(1992年:廣済堂出版)や、梅原猛著「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」(2000年:新潮社)でさえ、高千穂峰が何処であるか規定できていない。何とも、不思議な話であると言うしかない。
●ある意味、梅原猛や安本美典などどの問題児でさえ、天孫降臨の世界山が追求出来ない危機的状況が日本には存在するのかも知れない。日向国の万葉学を自称する者としては、せめて、天孫降臨の世界山くらいは案内する必要がある。
◎日向国の万葉学では、天孫降臨の世界山は霧島山高千穂峰だとするしかない。第一、霧島山は邪馬台国三山の筆頭の山である。それも霧島山が天孫降臨の世界山であるからに他ならない。ちなみに、邪馬台国三山は、以下の山を指す。
・うねびやま=霧島山(1700叩
・あめのかぐやま=桜島山(1117叩
・みみなしやま=開聞岳(924叩
◎もちろん、邪馬台国を代表する風景が邪馬台国三山であることは言うまでも無い。同じように、大和国を代表する風景が大和三山である。
・畝傍山(199.2叩
・香具山(152.4叩
・耳成山(139.7叩
◎これまで大和三山には六回登っている。
第一回 平成4年3月28日
第二回 平成15年8月11日
第三回 平成17年5月10日
第四回 平成21年3月29日
第五回 平成22年4月3日
第六回 平成23年4月29日
◎大和三山は標高200辰砲盻爾燭覆ぞ山に過ぎないが、邪馬台国三山は日向国を代表する名山であるし、それは現代に於いても信仰の山として知られる。古代に於いては、もっと尊崇された山々であった。だから邪馬台国三山と呼ばれたのである。
◎天孫降臨の世界山は日本のどの山より尊崇される山でなくてはなるまい。そんな山が日本に幾つも存在するはずがない。三世紀の日本の中心であった日向国で最も高く、最も気高い山が天孫降臨の世界山であることも、間違いない。そうでなくては天孫降臨など、あり得ない。
◎そういう天孫降臨の世界山の凄さを誰も知らない。肝心の日向国も知らないで、あれこれ天孫降臨の世界山の話をしたところで仕方の無いことである。ちなみに、「古事記」と「日本書紀」とが記録する天孫降臨の世界山の全記録は、次のようになる。
「古事記」 竺紫日向之高千穂之久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
「日本書紀」本文 日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
槵日二上天浮橋(くしひのふたがみのあまのうきはし)
一書 |淹臚眄虔槵觸之峯(つくしのひむかのたかちほのくじふるのたけ)
一書◆‘槵日高千穂之峯(ひむかのくしひのたかちほのたけ)
一書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋(ひむかのそのたかちほのくしひのふたがみの
たけのあまのうきはし)
一書ぁ‘映傾眄虔翕沙格覆劼爐のそのたかちほのそほりのやまのたけ)
◎この全記録に合致する山が天孫降臨の世界山だと言えよう。そんな山が日本に二つも存在することはあり得ない。それが霧島山の高千穂峰である。そんなことも日本の歴史は認めることができない。何と貧しい学問であることか。