○ここのところ、ずっと辯才天信仰の話を続けて来た。その後、木花開耶姫に話の中心が移りつつある。それは大山祇神から木花開耶姫へと続く流れが存在するからと考えるからである。何故か、「古事記」や「日本書紀」はそういう歴史を深く語ろうとしない。それは極めて意図的な所業だと言わざるを得ない。今回はそういう話をしたい。
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