○前回、『神武天皇と大和三山』の話をして、神武天皇と畝傍山の運命的な関係について言及した。そうなると、次に考えるべきはどうしても神武東征の話しかない。ついでに、神武天皇の御船出の地が何処であるかについても触れておきたい。
○前に、ブログ『辯才天信仰と彦火瓊々杵尊』で、真実の神代三山陵比定地がどのようなものであるかについて触れた。真実の神代三山陵比定地は次のようになる。
初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵
○日向国は広い。「魏志倭人伝」が案内する邪馬台国・狗奴国・投馬国がどのような国であったかについてはこれまで、ブログ『日向国と邪馬台国』『邪馬台国と狗奴国』『邪馬台国と投馬国』『倭国三十国』『邪馬台国・狗奴国・投馬国』等で、丁寧に述べて来たつもりである。
○神武東征を考えるに際して、最初に神武天皇の御船出の地から考えてみたい。
○前に、ブログ『辯才天信仰と彦火瓊々杵尊』で、真実の神代三山陵比定地がどのようなものであるかについて触れた。真実の神代三山陵比定地は次のようになる。
初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵
○日向国は広い。「魏志倭人伝」が案内する邪馬台国・狗奴国・投馬国がどのような国であったかについてはこれまで、ブログ『日向国と邪馬台国』『邪馬台国と狗奴国』『邪馬台国と投馬国』『倭国三十国』『邪馬台国・狗奴国・投馬国』等で、丁寧に述べて来たつもりである。
○神武東征を考えるに際して、最初に神武天皇の御船出の地から考えてみたい。