○ここのところ、ブログ『白尾國柱「麑藩名勝考」』から『白尾國柱と狗奴国』、『白尾國柱と邪馬台国』と見て来ている。こうなると、当然、次には『白尾國柱と舎衞城』の問題を考えておく必要がある。と言うか、次には必然的に『白尾國柱と舎衞城』の問題が出現する。
○ただ、話の流れとして、先に『日本への仏教伝来』の話をする必要がある。それで、『白尾國柱と舎衞城』の前に、『日本への仏教伝来』の話からすることにしたい。
○こういう思考は、白尾國柱の「麑藩名勝考」を読めば、当然考えなくてはならない問題だと白尾國柱が読者に強要する。それは、つまるところ、狗奴国と邪馬台国の問題であり、日本の宗教に関する問題であり、日本仏教伝来にも関係する重要な話となる。
○考えて欲しいのだが、日本仏教伝来に関して、おおよそ、従来の考え方は次のようなものではないか。
仏教公伝
仏教公伝(ぶっきょうこうでん)は、国家間の公的な交渉として仏教が伝えられることを指す。上代
の日本においては6世紀半ばの欽明天皇期、百済から倭(古代日本)への仏教公伝のことを指すのが一般
的であり、この項でもそれについて説明する。単に仏教伝来と称されて来たが、後述のごとく公伝以前
に、すでに私的な信仰としては伝来していたと考えられるため、「公伝」と称されることが多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%85%AC%E4%BC%9D
日本の仏教
【歴史・飛鳥時代】
『日本書紀』によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年(欽明天皇13年)に百済の聖王(聖明
王)により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされている(一方、韓国の史書『三国史記』
には「百済の聖明王は日本天皇に釈迦仏の金銅像と経論他を下賜していた」と書いた。どの国の地位
が高いかという論争があるが、その時百済と日本の関係は親しみ事が両国も認める)。しかし、現在
では『上宮聖徳法王帝説』(聖徳太子の伝記)の「志癸島天皇御世 戊午年十月十二日」や『元興寺伽
藍縁起』(元興寺の成り立ち・変遷を記述したもの)の「天國案春岐廣庭天皇七年歳戊午十二月」を
根拠に538年(戊午年、宣化天皇3年)に仏教が伝えられたと考える人が多いようである。歴史の教科
書にはこちらの年号が載っている(詳細は仏教公伝を参照)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
○おおよそ、どの本を見ても、上記のような話が載るだけで、その当時の仏教がどのようなものであったかについては、ほとんど言及されることはない。仏教公伝前に、すでに私的な信仰として仏教は伝来していたとあるけれども、大事なのはそれがどういう仏教であって、何処からどのように伝来したかと言うことだろう。日本仏教伝来に関して、そういう発言や言及を見たことが無い。
○宗教で、もっとも大事なことはそういうことだろう。あれ程、天台宗や真言宗、禅宗の伝来に関してはうるさいのに、肝心の仏教伝来に関しては、仏教界もまるで無関心だと言わざるを得ない。日本の寺では自分の宗派だけが大事なのであり、仏教は二の次、三の次でしかない。本当は逆だろうと言わざるを得ない。
●日本の仏教で、古い宗教形態を残していると言われるのに修験道がある。
修験道
修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的と
する日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。修験宗ともいう。修験道の
実践者を修験者または山伏という。
【歴史】
修験道は、奈良時代に役小角(役行者)が創始したとされるが、役小角は伝説的な人物なので開祖
に関する史実は不詳である。役小角は終生を在家のまま通したとの伝承から、開祖の遺風に拠って在
家主義を貫いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93
●その修験道の始まりは大峰山の開祖、役小角(役行者)だとされる。
役小角
役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7
月16日)伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。姓は君。 修験道の開祖とされている。 実
在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。天河大弁財天社や大峯山龍泉
寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92
●その大峰山へは、2009年3月と2011年4月と、これまで2回参詣している。
・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」:ブログ『大峰山山上ケ岳に登る』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/25255167.html
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『大峰山(山上ヶ岳)』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34845056.html
●修験道では、その開祖を役小角としているが、それは役小角が大峰山へ修験道を持ち込んだからそうなったものと思われる。修験道の歴史は古い。上記にもあるように、役小角は七世紀の人物である。多分、修験道の起源は三世紀まで遡る。それは仏教公伝より三百年も昔の話である。