日本への仏教伝来
○ここのところ、ブログ『白尾國柱「麑藩名勝考」』から『白尾國柱と狗奴国』、『白尾國柱と邪馬台国』と見て来ている。こうなると、当然、次には『白尾國柱と舎衞城』の問題を考えておく必要がある。と言うか、次には必然的に『白尾國柱と舎衞城』の問題が出現する。...
View Article白尾國柱と舎衞城
○現在、日本では仏教伝来は六世紀のこととされる。しかし、修験道を追い求めると、日本への仏教伝来は三世紀のことであって、その宗教形態は修験道であったことが判る。前回、そういう話をした。 ○仏教徒であれば、それは重大な関心事である。誰もがそう思う。しかし、不思議なことに、日本の仏教徒は、そういうことにまるで無関心であることに驚く。...
View Article薩摩者幸島也
○ここのところ、『白尾國柱「麑藩名勝考」』『白尾國柱と狗奴国』『白尾國柱と邪馬台国』『白尾國柱と舎衞城』と、白尾國柱の話を続けているが、今回の『薩摩者幸島也』も、実は白尾國柱の話となる。 ○白尾國柱の「麑藩名勝考」は、次のように始まっている。 薩摩國 薩摩者幸島也。取諸天孫紀所謂山幸・海幸之義。萬葉集有薩男・薩人・薩弓・薩矢等之称。...
View Article再々度、卑弥呼の鬼道について
○『卑弥呼の鬼道』がどういうものであるか。現在の考古学ではそれをシャーマニズムだとする。三世紀の日本がすでに国際社会の只中にあったことを考えると、そういう考えが誤りであることは言うまでもあるまい。国際社会をシャーマニズムで乗り切ろうとするのは、竹槍で黒船に立ち向かうくらい滑稽である。そういうことを真剣に議論なさる考古学とは、どういう学問なのであろうか。...
View Article補陀落渡海
○前回の最後に、こう書いた。 ・卑弥呼の鬼道がどういうものか。それは現在でも日本でも中国でも見ることの出来る風景である。机 上であれこれ空想するより、遥かに現実味のある話である。何ご存じ無い考古学者先生ほど、お目出 たいものは無い。これが卑弥呼の鬼道である。そのことは実は日本の仏教が証明してくれる。次回は そんな話をしたい。...
View Article大山祇神の故郷
○卑弥呼は何者か。しかし、卑弥呼は卑弥呼以外であるはずも無い。ただ、諸本が卑弥呼をどのように案内しているかが気になる。それは卑弥呼は何者かと言う話になる。 ○卑弥呼を記録しているのは、中国の史書「三国志」である。その巻三十の最後の1984字が倭人の条で、日本ではそれを特別に『魏志倭人伝』と呼び称している。日本では卑弥呼は有名人だが、その割にはちゃんと『魏志倭人伝』が読まれているわけでもない。...
View Article卑弥呼が大山祇神であること
○前回、卑弥呼は何者かと言う話を書いて、そのままになっている。それは大山祇神の話をしていて、大山祇神の故郷が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であることの説明が長くなってしまった結果である。結論から言うと、卑弥呼は大山祇神だと言うしかない。 ●「魏志倭人伝」を読むと、「魏志倭人伝」の主題が魏国が認識する倭国三十国の案内であることが判る。それを陳壽は、次のように見事に表現してみせる。 【渡海三国】...
View Article出雲神が支配する大和国
○大和国は大和朝廷のお膝元であるから、誰もが大和国を支配する神は天皇家の神だと信じて疑わない。大和国を実際歩いてみると判るのだが、大和国を実行支配しているのは天皇家の神ではなく、出雲神である。誰もそんな話をしない。しかし、これが本当である。 ○その証拠に、大和国の一宮は大神神社となっている。ウィキペディアフリー百科事典が案内する大神神社は次の通り。 大神神社...
View Article出雲神の故郷が硫黄島であること
○宮城県名取市愛島笠島に鎮座まします佐倍乃神社へ参詣したことがある。もっとも、佐倍乃神社の名は明治になってからのもので、一般には笠島道祖神として知られる神社である。笠島及び笠島道祖神は、歌枕として名高い。...
View Article大和三山の正しい眺め方
○ブログ『出雲神が支配する大和国』から『出雲神の故郷が硫黄島であること』と書き続けると、次に来るのは『大和三山の眺め方』しかない。大和三山を眺めるには、何処からでも良いような気がする。しかし、山にはちゃんと見るべき方角が存在する。特定の場所から眺めることによって、その山の価値評価は随分違う。今回は、そんな話をしたい。...
View Article大和三山の正しい眺め方の裏側
○前回、ブログ『大和三山の正しい眺め方』を書き、大和三山は三輪山山頂から眺めるのが正式だとした。このことは、日向国ではどうなるのか。そういう話を含めて、今回検討するのは『大和三山の正しい眺め方の裏側』と言う話になる。...
View Article大和三山の正しい眺め方の裏側(続き)
○前回のブログ『大和三山の正しい眺め方の裏側』の話が長くなっている。今回はその続き。『大和三山の正しい眺め方の裏側』とは、つまり、畝傍山から香具山と耳成山の間に三輪山を遥拝する風景である。...
View Article日向国一宮:都農神社
○なかなか日向国一宮である都農神社について書くことも無いので、ここで紹介しておきたい。ウィキペディアフリー百科事典が案内する都農神社は、次の通り。 都農神社 都農神社(つのじんじゃ)は、宮崎県児湯郡都農町にある神社。式内社、日向国一宮。旧社格は国幣 小社で、現在は神社本庁の別表神社。 明治以前は「宮崎社」「宮崎宮」とも称されていた。地元では「一の宮神社」とも呼ばれる。...
View Article日向国:延喜式内社
○ここで言う日向国は、旧日向国の意で、後の薩摩国・大隅国・日向国のことである。また、延喜式神名帳については、ウィキペディアフリー百科事典に次のようにある。 延喜式神名帳 延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻 九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。...
View Article日向国児湯郡:都萬神社
○ブログ『日向国一宮:都農神社』から『日向国:延喜式内社』と見て来ているから、続けて『日向国児湯郡:都萬神社』を案内したい。都農神社は日向国の国府の所在地に鎮座まします神社である。したがって、検証する上では十分注意を要する。...
View Article日向国諸県郡:霧島神社
○日向国の延喜式内社には、次の小社4座4社が記載されている。 ・児湯郡 都農神社(日向国一宮) ・児湯郡 都萬神社 ・宮埼郡 江田神社 ・諸県郡 霧島神社 ○これまで、『日向国一宮:都農神社』、『日向国:延喜式内社』、『日向国児湯郡:都萬神社』と話を続けている。今回案内するのは、『日向国諸県郡:霧島神社』である。...
View Article薩摩国頴娃郡:枚聞神社
○薩摩国の延喜式内社は、小社2座2社が記載されている。 ・頴娃郡 枚聞神社(薩摩国一宮) ・出水郡 加紫久利神社 ○本ブログでは、これまで、枚聞神社については、何度も書いている。 ・書庫「指宿探訪」:ブログ『薩摩国一之宮(枚聞神社)参拝記』 https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/7838166.html...
View Article大隅国一宮:鹿児島神宮
○ここまでに、ブログ『日向国一宮:都農神社』、『日向国児湯郡:都萬神社』、『日向国諸県郡:霧島神社』、『薩摩国一宮:枚聞神社』と書いてきている。今回案内するのは『大隅国一宮:鹿児島神宮』である。 ○大隅国の延喜式内社は、次の大社1座1社小社4座4社の計5座5社が記載されている。 ・桑原郡 鹿児嶋神社(大社:大隅国一宮) ・曽於郡 大穴持神社 ・曽於郡 宮浦神社 ・曽於郡...
View Article大隅国曽於郡:宮浦神社
○再度確認すると、大隅国の延喜式内社は、次の大社1座1社小社4座4社の計5座5社となっている。 ・桑原郡 鹿児嶋神社(大社:大隅国一宮) ・曽於郡 大穴持神社 ・曽於郡 宮浦神社 ・曽於郡 韓國宇豆峯神社 ・馭謨郡 益救神社...
View Article大隅国曽於郡:韓國宇豆峯神社
○今日、2017年4月29日は昭和の日である。 昭和の日 昭和の日(しょうわのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は2006年までみどりの日だっ た4月29日。2007年1月1日施行の改正祝日法で新設された。 【概要】 国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)の一部改正によって2007年(平...
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