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再々度、卑弥呼の鬼道について

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○『卑弥呼の鬼道』がどういうものであるか。現在の考古学ではそれをシャーマニズムだとする。三世紀の日本がすでに国際社会の只中にあったことを考えると、そういう考えが誤りであることは言うまでもあるまい。国際社会をシャーマニズムで乗り切ろうとするのは、竹槍で黒船に立ち向かうくらい滑稽である。そういうことを真剣に議論なさる考古学とは、どういう学問なのであろうか。

○実は、『卑弥呼の鬼道』については、本ブログでは何度も書いている。書庫「日向国の万葉学」だけでも、2回書いている。
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『卑弥呼の鬼道』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40543111.html  
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『卑弥呼の鬼道』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40624180.html

○このように、何度も書くことによって、『卑弥呼の鬼道』がどういうものであるか、次第に深度が深まって行くと判断する。だから、幾度も同じテーマで書き続けるわけである。今回も、『白尾國柱「麑藩名勝考」』から『白尾國柱と狗奴国』、『白尾國柱と邪馬台国』、『日本への仏教伝来』、『白尾國柱と舎衞城』、『薩摩者幸島也』と書き続ける中での『卑弥呼の鬼道』と言う話になる。

●上記したブログ『卑弥呼の鬼道』に書いていることだが、卑弥呼は『ひみこ』と読むのではなく『ひむか』と読むべきだろう。何故なら、卑弥呼の鬼道が太陽崇拝であることは間違いないからである。

●卑弥呼の鬼道がどんなものか。それを知りたかったら中国浙江省舟山群島普陀山へ行くに如くは無い。普陀山へ参拝すれば、卑弥呼の鬼道がどんなものだったかを理解できる。実は卑弥呼の鬼道は太陽崇拝の仏教であったのである。

●そんなことは机上で幾らあれこれ検討したところで始まらない。実際、普陀山で洛迦山を遥拝すれば、間違いなくそれが卑弥呼の鬼道であることが判る。それだけのことである。

●驚くべきことに、日本でも同じ風景を見ることができる。もっとも判り易いのは、吐噶喇列島宝島から見る小宝島だろう。おそらく、これが太陽崇拝の原型ではないか。それを移行したのが普陀山ではないかと私は考えている。もちろん、それは逆であっても一向に差し支えない。ただ、吐噶喇列島と舟山群島とでは、有難味が全然違う。艱難辛苦の彼方に存在する方が有難味がある。それだけのことである。

●まあ、なかなか出掛けるのも大変だから、写真でご覧あれ。本ブログでは、これまで、中国浙江省舟山群島普陀山へ5回参詣し、吐噶喇列島へも3回訪問して、そのことを確認している。

◎卑弥呼の鬼道がどういうものか。それは現在でも日本でも中国でも見ることの出来る風景である。机上であれこれ空想するより、遥かに現実味のある話である。何ご存じ無い考古学者先生ほど、お目出たいものは無い。これが卑弥呼の鬼道である。そのことは実は日本の仏教が証明してくれる。次回はそんな話をしたい。

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