○日向国の延喜式内社には、次の小社4座4社が記載されている。
・児湯郡 都農神社(日向国一宮)
・児湯郡 都萬神社
・宮埼郡 江田神社
・諸県郡 霧島神社
○これまで、『日向国一宮:都農神社』、『日向国:延喜式内社』、『日向国児湯郡:都萬神社』と話を続けている。今回案内するのは、『日向国諸県郡:霧島神社』である。
○前回、『日向国児湯郡:都萬神社』で話したように、都萬神社は日向国の国府に存在する神社として、時代を経るに従って、権勢を得るようになった神社である。それは薩摩国新田神社とか、大隅國鹿児島神社とまるで同じである。そのことに十分注意する必要があろう。
○そういう意味では、今回扱う『日向国諸県郡:霧島神社』は、都萬神社の対極に位置する神社だと言えよう。古代に於いて、日向国の中心が諸県郡にあったことは疑いない。その諸県郡の産土神が霧島神である。
○諸県郡自体がまるで研究されていない地域であることに驚く。まず、『諸県』がどういう意味であるか。肝心のそういうことすら、解明されていない。「たくさんの県(あがた)が存在したから諸県と言う」などと言う珍説がまことしやかに喧伝されているのを聞くと、笑うしかない。よくよく考えると、「たくさんの県(あがた)が存在」することなど、あり得るはずがない。諸県郡の字面(じづら)に欺された話に過ぎない。
○本ブログでは、諸県郡がどういうところであったかについて、すでに詳細な検証を加えている。長くなるので、詳しくは以下のブログを参照されたい。
・書庫「投馬国はどんな国家だったか」:30個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1267193.html?m=l&p=1
○ただ、諸県郡の人々は、もともと海洋民族で、その齋き祀る神は「すえよしの住吉神」だったと思われる。そのことは諸県郡発祥の地から明らかとなる。その場所からは霧島山がもっとも美しく見える場所でもある。したがって、霧島神信仰は、人々が諸県盆地に定住してから発生したものと考えられる。
○諸県盆地に於いて、霧島山ほど崇高な山は無い。その存在感は他を圧倒する。有る意味、宮崎県鹿児島県全体で、もっとも崇高な存在だとも言えよう。それは桜島山(1117叩砲箜聞岳(924叩法高隈山(1236叩砲茲蝓♯かに高く、山塊も大きく広い。南九州の最高峰が霧島山(1700叩砲覆里任△襦
・児湯郡 都農神社(日向国一宮)
・児湯郡 都萬神社
・宮埼郡 江田神社
・諸県郡 霧島神社
○これまで、『日向国一宮:都農神社』、『日向国:延喜式内社』、『日向国児湯郡:都萬神社』と話を続けている。今回案内するのは、『日向国諸県郡:霧島神社』である。
○前回、『日向国児湯郡:都萬神社』で話したように、都萬神社は日向国の国府に存在する神社として、時代を経るに従って、権勢を得るようになった神社である。それは薩摩国新田神社とか、大隅國鹿児島神社とまるで同じである。そのことに十分注意する必要があろう。
○そういう意味では、今回扱う『日向国諸県郡:霧島神社』は、都萬神社の対極に位置する神社だと言えよう。古代に於いて、日向国の中心が諸県郡にあったことは疑いない。その諸県郡の産土神が霧島神である。
○諸県郡自体がまるで研究されていない地域であることに驚く。まず、『諸県』がどういう意味であるか。肝心のそういうことすら、解明されていない。「たくさんの県(あがた)が存在したから諸県と言う」などと言う珍説がまことしやかに喧伝されているのを聞くと、笑うしかない。よくよく考えると、「たくさんの県(あがた)が存在」することなど、あり得るはずがない。諸県郡の字面(じづら)に欺された話に過ぎない。
○本ブログでは、諸県郡がどういうところであったかについて、すでに詳細な検証を加えている。長くなるので、詳しくは以下のブログを参照されたい。
・書庫「投馬国はどんな国家だったか」:30個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1267193.html?m=l&p=1
○ただ、諸県郡の人々は、もともと海洋民族で、その齋き祀る神は「すえよしの住吉神」だったと思われる。そのことは諸県郡発祥の地から明らかとなる。その場所からは霧島山がもっとも美しく見える場所でもある。したがって、霧島神信仰は、人々が諸県盆地に定住してから発生したものと考えられる。
○諸県盆地に於いて、霧島山ほど崇高な山は無い。その存在感は他を圧倒する。有る意味、宮崎県鹿児島県全体で、もっとも崇高な存在だとも言えよう。それは桜島山(1117叩砲箜聞岳(924叩法高隈山(1236叩砲茲蝓♯かに高く、山塊も大きく広い。南九州の最高峰が霧島山(1700叩砲覆里任△襦