○卑弥呼は何者か。しかし、卑弥呼は卑弥呼以外であるはずも無い。ただ、諸本が卑弥呼をどのように案内しているかが気になる。それは卑弥呼は何者かと言う話になる。
○卑弥呼を記録しているのは、中国の史書「三国志」である。その巻三十の最後の1984字が倭人の条で、日本ではそれを特別に『魏志倭人伝』と呼び称している。日本では卑弥呼は有名人だが、その割にはちゃんと『魏志倭人伝』が読まれているわけでもない。
○『魏志倭人伝』で、卑弥呼は何回出現しているか。それは次の5回に過ぎない。
]壮∃、相攻伐歷年。乃共立一女子為王。名曰卑彌呼。事鬼道、能惑眾。
其年十二月、詔書報倭女王曰「制詔親魏倭王卑彌呼。
O曾θ榕集灘亢蘚枹男王卑彌弓呼素不和、
と榕集動併燹大作冢、徑百餘步、徇葬者奴婢百餘人。
ド卑彌呼宗女壹與、年十三為王、國中遂定。
○このうち、きイ竜事では卑弥呼は死んでいるから、生きている卑弥呼の記録は3回だけと言うことになる。『魏志倭人伝』の全記録がこれであるから、ここから卑弥呼の肖像を描くことは至難の業と言うしかない。もっとも、ほとんど記録が無いことから、自由気儘に卑弥呼の肖像は描かれている。
●伊予国の一宮は大山祇神社と申し上げる。大山祇神社は愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座まします。また、伊豆国の一宮は三嶋大社と申し上げ、静岡県三島市大宮町に鎮座まします。ともに御祭神は大山祇神である。しかし、「古事記」や「日本書紀」に拠る限り、どう考えても大山祇神の居住地は日向国であって、伊予国や伊豆国ではない。
●つまり、伊予国の大山祇神社や伊豆国の三嶋大社の大山祇神は日向国から勧請された神だと言うしかない。そういう判断がもっとも大事なのだが、誰もそういうことをおっしゃらない。
●もっと凄いのは、駿河国一宮富士山本宮浅間大社や甲斐国一宮浅間神社の御祭神が木花之佐久夜毘売命だと言うことである。どう考えても、木花之佐久夜毘売命が駿河国や甲斐国に出現するはずがない。何故なら、木花之佐久夜毘売命は彦瓊瓊杵尊の妻であり、大山祇神の娘なのであるから。その木花之佐久夜毘売命が駿河国や甲斐国に登場することは考えられない。
●そういうことが神社では等閑にされていると言うしかない。問題は御祭神の話だから、そういい加減に放置しておいて良いものでもあるまい。
◎問題は、誰も大山祇神の故郷を問題にしないと言うことである。大山祇神の故郷は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島である。ここでは大山祇神がきれいに説明できる。そんな場所は、日本中探しても、何処にも存在しない。
◎大山祇神の故郷が硫黄島であることは、本ブログでは、これまで幾度となく紹介している。
・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『大山祇神の故郷』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37709135.html
・書庫「硫黄島」:ブログ『三島神』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33799344.html