○前回、ウィキペディアフリー百科事典が載せる、廬山について、案内した。しかし、廬山について、中国の検索エンジン百度の百度百科の方が遙かに詳しく案内している。
庐山[lú shān]
庐山,世界文化景观遗产,世界地质公园,全国重点文物保护单位,国家重点风景名胜区,国家AAAA
A级旅游景区。
庐山山体呈椭圆形,典型的地垒式块段山,长约25公里,宽约10公里,绵延的90余座山峰,犹如九叠
屏风,屏蔽着江西的北大门。以雄、奇、险、秀闻名于世,素有“匡庐奇秀甲天下”之美誉,与鸡公山、
北戴河、莫干山并称四大避暑胜地。巍峨挺拔的青峰秀峦、喷雪鸣雷的银泉飞瀑、瞬息万变的云海奇观、
俊奇巧秀的园林建筑,一展庐山的无穷魅力。庐山尤以盛夏如春的凉爽气候为中外游客所向往,是久负
盛名的风景名胜区和避暑游览胜地。历代题诗极多,李白《望庐山瀑布》尤为著名。
【目 录】
[1简介]
1.1 历史渊源 1.2 文化价值 1.3 政治意义 1.4 自然环境
[2基本信息]
[3地理特征]
3.1 地理位置 3.2 气候状况 3.3 水文特点
[4文化底蕴]
4.1 传说 4.2 名人作品 4.3 宗教 4.4 建筑
[5相关资料]
5.1 诗词 5.2 电影 5.3 观音桥 5.4 电控设备厂 5.5 荣誉
[6地质资源]
6.1 地层遗迹 6.2 岩石遗迹 6.3 水文地质遗迹 6.4 地质地貌遗迹
[7著名景观]
7.1 东林寺 7.2 锦绣谷 7.3 花径 7.4 秀 峰 7.5 五老峰 7.6 碧龙潭瀑布 7.7 三宝树
7.8 美庐别墅 7.9 芦林湖 7.10 庐山会议旧址 7.11 大口瀑布 7.12 乌龙潭 7.13 白鹿洞书院
7.14 植物园 7.15 黄龙潭 7.16 三叠泉 7.17 博物馆 7.18 含鄱口 7.19 龙首崖 7.20 仙人洞
7.21 汉阳峰 7.22 石门涧 7.23 小天池 7.24 牯岭 7.25 大天池 7.26 铁船峰
7.27 观音桥景区 7.28 御碑亭 7.29 庐山瀑布 7.30 庐山云雾
[8特产]
[9旅游信息]
9.1 景点 9.2 门票
[10旅游指南]
10.1 旅游贴士 10.2 注意事项11精华线路
目録だけでも、これだけに上る。詳しくは、以下を参照されたい。
http://baike.baidu.com/link?url=0a8W-bRH5cUNsp-hegMvaCux3KQD1ldk9sMF7YunMrFNJsZETsDEa059nOz-hnKF
○案内にもあるが、廬山は1996年12月6日に、世界文化遺産にも登録されている。その評価には、次のようにある。
世界遗产委员会评价
江西庐山是中华文明的发扬地之一。这里的佛教和道教庙观,代表理学观念的白鹿洞书院,代表古代
高科技建筑的观音桥,以其独特的方式融汇在具有突出价值的自然美之中,形成了具有极高的美学价值,
与中华民族精神和文化生活紧密联系的文化景观之一。
まさしく、廬山は、『中華民族の精神と文化生活が緊密に聯繋した文化景観』の代表の一つと言えよう。
○その割には、廬山がどういうところであり、廬山で何を見るべきかは、なかなか理解されていない気がしてならない。廬山を訪れる多くの観光客は、廬山に何を見、何を得て帰るのであろうか。廬山は単なる観光地ではないのである。
○そういう私にしたところで、廬山と言えば、陶淵明の故郷であり、白楽天の「香爐峰下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁」詩を思い出す程度でしか無かった。今回の旅行に際して、いろいろと廬山について調べてみて、はじめて、中国人にとって、廬山がどういう山であるかを理解した。
○中国で、山と言えば、何と言っても泰山であり、また五岳を思い出す。五岳とは、
・东岳泰山(海拔1532.7米,位于山东省泰安市)
・南岳衡山(海拔1300.2米,位于湖南省衡阳市)
・西岳华山(海拔2154.9米,位于陕西省华阴县)
・北岳恒山(海拔2016.1米,位于山西省浑源县)
・中岳嵩山(海拔1491.7米,位于河南省登封市)
を意味する。その歴史は途方もなく古く、秦の始皇帝でさえ、泰山に登り、封禅の儀式をしているほどである。
○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内するところに拠れば、廬山の初見は司馬遷の「史記」だと言う。念の為、確認すると、「史記」卷二十九:河渠書・第七『太史公曰』に、
太史公曰:余南登廬山,觀禹疏九江,遂至于會稽太湟,上姑蘇,望五湖;東闚洛汭、大邳,迎河,
行淮、泗、濟、漯洛渠;西瞻蜀之岷山及離碓;北自龍門至于朔方。曰:甚哉,水之為利害也!余從負
薪塞宣房,悲瓠子之詩而作河渠書。
とあるのが、そうらしい。『余南登廬山』とあるから、司馬遷は実際廬山に登ったことが判る。
○ただ、廬山が知られるのは、晋代になってからである。晋代、廬山は道教の聖地であり、仏教の道場であった。しかし、司馬遷の時代に、すでに廬山の名が存在したことも留意すべきであろう。どう考えても、廬山の名は、特別である。司馬遷の時代に、すでに廬山には、仙人や道士が参集していたとしか考えられない。それが廬山の名の由来なのではないか。