○「八雲立つ出雲」の風景が気になったのは、2010年9月17日に竹生島巌金山宝厳寺へ参詣した時のことであった。今でもよく記憶している。伊吹山から沸き立つ雲に迫力があるのに驚いた。
・書庫「竹生島」:ブログ『巌金山宝厳寺』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33314796.html
○「出雲」に掛かる枕詞が『八雲立つ』である。出雲国の何処に「八雲立つ出雲」の風景が存在するのだろうか。そういうものが気になり出した。それが何とか形になったのは、二か月後の2010年11月22日であった。
・書庫「硫黄島」:ブログ『八雲立つ出雲』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33764795.html
○もっとも、出雲神が気になり始めたのは2007年秋頃のことだから3年ほど要したことになる。今どき、枕詞『八雲立つ』など考える人も居ない。ただ、日向国では今でも枕詞が生きている。何しろ、日本創世の場所が日向国なのだから。
○枕詞と言うと、万葉時代の和歌の修辞であって、現代とは無縁のものだと誰もが思っている。ところが日向国では現代に於いてもしっかり枕詞が息づいている。もともと枕詞と言うのは、そういう言葉であって、簡単に消失する類のものではない。ある意味、ふんだんに枕詞が存在するところこそが、日向国の中心と言うこともできよう。
○こういうふうに、説明するだけでは、なかなか信じていただけない気がするので、判り易い例を挙げて案内したい。枕詞に『天降り付く』と言うのがある。大野晋の岩波古語辞典では、次のように案内する。
天降り付く(あもりつく)
・[枕詞]香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。
・天降り付く天の香具山霞立つ春に至れば〈万二五七〉
○岩波日本古典文学大系本「万葉集(一)」では、
天降りつく
天から降って下界についた。当時香具山にそのような伝説があった。
伊予国風土記の逸文にその記事がある。
とするけれども、奈良県橿原市に存在する香具山へ出掛けて、実際に香具山に登ってみても、そんな気配は微塵も感じられない。私にそういう感性が無いのかも知れないが、枕詞と言うのは、常人の感覚感性で成立するものであって、特別な感覚は必要無いはずである。万人が感得できるからこそ、枕詞となり得る。
○そういうふうに長いこと考えていた。様々な偶然が重なって、枕詞『天降り付く』は思い掛けないところから出現して驚いた。国道10号線の鹿児島県福山町牧之原から県道478号線を下って、福山町大廻へ行く途中に、中茶屋公園が存在する。
・書庫「日州街道」:ブログ『中茶屋公園』
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○ここは昔の日州街道であり、その面影を現代に残している、数少ない場所である。それに、中茶屋公園から眺める桜島は美しい。それで、多くの人が訪れる公園である。私は此処に「島津忠将公供養塔」が存在するのを知って、2012年の2月頃、出掛けた。
・書庫「日州街道」:ブログ『島津忠将公供養塔』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36199732.html
○『島津忠将公供養塔』も気になったが、此処を訪れてもっとも惹かれたのは、『右馬頭石塔碑』の方でであった。鹿児島の石碑文化の一つである。誰も読んでくれないので、自分で読むしかない。
・書庫「日州街道」:ブログ『右馬頭石塔碑』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36202895.html
○数年前、此処で桜島を眺めて居たら、福山の方が居て、いろいろと話をした。主に釣りの話だったが、桜島がきれいだとの話をしている時に、その方が思い出したように、「そう言えば、冬になると、多くの写真家が桜島の写真を撮りに、わざわざ福山港まで来ている」とおっしゃったのを聞いた。
○その老人の話では、冬の時期には、桜島に日が沈むと言う。それを目当てに写真愛好家達が挙って福山港を訪れると言うのである。その時は、老人のおっしゃるように、寒い最中、写真を撮る為にずっと待機しているなど、物好きな人が居るものだと思った次第である。
○2012年8月22日(水)に、硫黄島へ出掛けた。とは言っても、一日かけて、枕崎港から三島を経由して鹿児島港まで旅するものである。家人が一回硫黄島を見てみたいと言うので出掛けた。それを書いたのが、次のブログである。
・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:20個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1212742.html?m=l&p=1
○そのブログを書いているうちに、枕詞『天降り付く』がどういうものであるかを理解した。それが以下のブログである。
・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:ブログ『天降付く天の香具山』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37128661.html
○それを証明する写真を撮りに福山港に向かったのは、2012年12月4日(火)のことであった。そのことは、以下のブログに書いている。
・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:ブログ『枕詞「天降り付く」の真実』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37290249.html
○この風景を見れば、一目瞭然、たちどころに、枕詞「天降り付く」がどういうものかを理解できる。それは決して大野晋の岩波古語辞典や、岩波日本古典文学大系本「万葉集(一)」が言うようなものではない。これが日向国の万葉学の成果であることは言うまでもない。
○枕詞「天降り付く」の風景が日向国に存在すると言うことが何を意味するか。それは香具山が存在するのが奈良県ではなく日向国だと言うことである。つまり、奈良県の香具山はレプリカであって、真実の香具山は桜島山だと言うことである。
○「天降り付く」現象が真実の香具山であるかどうかを左右することは間違いない。ただ、香具山には他にも幾つか特性が存在することも忘れてはなるまい。その一つが香具山は他の山と違って、「天の香具山」と呼ばれることである。
○このことも、香具山が天から降って来たことに由来するとされるけれども、そんなことはない。香具山は他の山と違って、海中に存在するから「天の香具山」と称されるのである。それは「天の橋立」と同じである。しかし、奈良県に海は無い。
○もう一つくらいは紹介しておこう。それは香具山の名の由来である。香具山とは「火の山」を意味する。つまり、火を噴いている山が香具山なのである。こうやって香具山の特性を指摘すると、全てが桜島山を指すことが判る。そんな山は他に存在しない。
○最後の最後に登場するのが大和三山である。
・畝傍山(199.2m)
・香具山(152.4m)
・耳成山(139.7m)
私たちはこれが大和三山だと誰もが思っている。しかし、それはレプリカであって、真実の大和三山は次のように案内される。
・うねびやま=霧島山(1700叩
・かぐやま=桜島山(1117叩
・みみなしやま=開聞岳(924叩
○つまり、香具山は単独で存在するわけではない。大和三山の一つとして存在する。枕詞「天降り付く」の風景が日向国に存在する以上、大和三山そのものが日向国に存在するはずである。
○ただ、大和三山が二つもあると、何とも紛らわしい。それで、私は、奈良県の大和三山をそのまま大和三山と呼び、日向国の大和三山を邪馬台国三山と呼んで区別している。真実の大和三山が邪馬台国三山どと言うことになる。
○真実の大和三山が日向国に存在することに気付いたのは、元号が昭和から平成に変わる1990年頃であったから、もう30年も昔の話になる。大和三山を確認するために最初に大和三山へ登ったのは平成4年(1992年)3月のことであった。
○そういう経歴を経て、ようやっと枕詞「天降り付く」の風景を発見できたのである。なかなか古代を復元するのも大変である。ただ、楽しい作業であることは間違いない。
○本当は、此処では『八雲立つ出雲の風景』を書くつもりであったが、前置きが長くなり過ぎたので、表題を『枕詞「天降り付く」の風景』にして、『八雲立つ出雲の風景』は次回に述べることにしたい。