○以前、ブログ『大物主大神の故郷』を書いた。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『大物主大神の故郷』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40988849.html
○その際、村井康彦著「出雲と大和」(岩波新書:2013年1月刊)を取り上げ、詳しく説明したので、話が途中で終わったままになっている。そのことが気になっていた。ちょうど、『八雲立つ出雲の風景』を書いたので、ここで『大物主大神の故郷』の話を完結しておきたい。
○何故かと言うと、『大物主大神の故郷』と『八雲立つ出雲の風景』とは、同じ風景であるからである。それはそうだろう。大物主大神は出雲神なのだから。だから、大物主大神の故郷が出雲国であっては話がまとまらない。大物主大神の故郷は別に存在する。
○大和国は神武天皇が日向国から東征して成立した国であると記紀は述べる。その大和国の一宮が大神神社なのである。大神神社では日本最古の神社が大神神社だと自負なさっているけれども、その説が成立することは難しい。何故なら、もともと大和国自体が他所から来た人々によって成立した国だと記紀が名言しているからである。
○だから、当然、大神神社の起源も日向国に存在すると考える方が自然だろう。そう考えると、大和三山が気になる。大和国名を冠した大和三山こそが、大和国の中心だと考えられる。ちなみに、大和三山は奈良県橿原市に存在する。
・畝傍山(199.2m)
・香具山(152.4m)
・耳成山(139.7m)
○これまで、大和三山には6回登っている。
第一回 1992年3月28日
第二回 2003年8月11日
第三回 2005年5月10日
第四回 2009年3月29日
第五回 2010年4月3日
第六回 2011年5月3日
○何度も大和国を訪れ、大和三山へ登っているうちに、ふと思った。東西南北、あらゆる方角から大和三山を眺めているけれども、正式には、大和三山は何処から眺めるのが正しいのだろうか。そして、そもそもそういう、正式の大和三山の眺め方などが存在するのだろうかと。
○そのヒントとなったのが、池田源太著「大和三山」(1972年:学生社刊)の表紙カバーである。池田源太の「大和三山」は、もう45年も昔の書物だが、今でも大和三山を案内する書物としては、第一級である。こういう書物を名著と言うのであろう。
○そのカバー写真には、桃畠から眺めた大和三山の写真が掲載されていて、次のような説明がある。
カバー写真
奈良・国鉄桜井線三輪駅付近の山辺の道の桃畠よりのぞむ大和三山。
左端に香具山、中央に畝傍山、右端に耳成山が見える。
○この池田源太の「大和三山」に近いものは、大神神社境内の大美和展望所から眺める大和三山である。そういうことは理解していた。ところが、意外なところから、池田源太の「大和三山」カバー写真が何処から撮ったものかを知ることができて驚いた。
○
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『大物主大神の故郷』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40988849.html
○その際、村井康彦著「出雲と大和」(岩波新書:2013年1月刊)を取り上げ、詳しく説明したので、話が途中で終わったままになっている。そのことが気になっていた。ちょうど、『八雲立つ出雲の風景』を書いたので、ここで『大物主大神の故郷』の話を完結しておきたい。
○何故かと言うと、『大物主大神の故郷』と『八雲立つ出雲の風景』とは、同じ風景であるからである。それはそうだろう。大物主大神は出雲神なのだから。だから、大物主大神の故郷が出雲国であっては話がまとまらない。大物主大神の故郷は別に存在する。
○大和国は神武天皇が日向国から東征して成立した国であると記紀は述べる。その大和国の一宮が大神神社なのである。大神神社では日本最古の神社が大神神社だと自負なさっているけれども、その説が成立することは難しい。何故なら、もともと大和国自体が他所から来た人々によって成立した国だと記紀が名言しているからである。
○だから、当然、大神神社の起源も日向国に存在すると考える方が自然だろう。そう考えると、大和三山が気になる。大和国名を冠した大和三山こそが、大和国の中心だと考えられる。ちなみに、大和三山は奈良県橿原市に存在する。
・畝傍山(199.2m)
・香具山(152.4m)
・耳成山(139.7m)
○これまで、大和三山には6回登っている。
第一回 1992年3月28日
第二回 2003年8月11日
第三回 2005年5月10日
第四回 2009年3月29日
第五回 2010年4月3日
第六回 2011年5月3日
○何度も大和国を訪れ、大和三山へ登っているうちに、ふと思った。東西南北、あらゆる方角から大和三山を眺めているけれども、正式には、大和三山は何処から眺めるのが正しいのだろうか。そして、そもそもそういう、正式の大和三山の眺め方などが存在するのだろうかと。
○そのヒントとなったのが、池田源太著「大和三山」(1972年:学生社刊)の表紙カバーである。池田源太の「大和三山」は、もう45年も昔の書物だが、今でも大和三山を案内する書物としては、第一級である。こういう書物を名著と言うのであろう。
○そのカバー写真には、桃畠から眺めた大和三山の写真が掲載されていて、次のような説明がある。
カバー写真
奈良・国鉄桜井線三輪駅付近の山辺の道の桃畠よりのぞむ大和三山。
左端に香具山、中央に畝傍山、右端に耳成山が見える。
○この池田源太の「大和三山」に近いものは、大神神社境内の大美和展望所から眺める大和三山である。そういうことは理解していた。ところが、意外なところから、池田源太の「大和三山」カバー写真が何処から撮ったものかを知ることができて驚いた。
○