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坊津と日本三津

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○古代に於ける、日本の玄関口は何処だったのだろうか。それを裏付けるものとして、日本三津がある。ウィキペディアフリー百科事典には日本三津項目は存在せず、代わりに三津七湊項目の中で、日本三津を案内している。
      三津七湊
   三津七湊(さんしんしちそう)とは、室町時代末に成立した日本最古の海洋法規集である『廻船式
  目』に、日本の十大港湾として記されている三津・七湊の港湾都市の総称。
  【三津』
    ・安濃津 - 伊勢国安濃郡(三重県津市)
    ・博多津 - 筑前国那珂郡(福岡県福岡市)
    ・堺津 - 摂津国住吉郡・和泉国大鳥郡(大阪府堺市)
  中国明代の歴史書『武備志』では、次の3港が「日本三津」「三箇の津(さんがのつ)」として記されて
  いる。
    ・安濃津
    ・博多津
    ・坊津 - 薩摩国川辺郡(鹿児島県南さつま市)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B4%A5%E4%B8%83%E6%B9%8A

○また、坊津については、次のように案内する。
      坊津
   坊津(ぼうのつ)は、薩摩国川辺郡坊津(現在の鹿児島県南さつま市坊津町坊)の地名であり、
  日本の古代に栄えた港名。
  【概要】
   古代から薩摩藩政の中盤頃(享保年間)の長期に渡って、海上交通上の要地であった。遣唐使船の
  寄港地としての他、倭寇や遣明船、薩摩藩の密貿易の拠点として栄えた。
   中国明代の文書『武備志』では主要港として、安濃津・博多津と共に日本三津(さんしん)に挙げ
  られている。
  【歴史】
   日本での仏教黎明期の538年に百済に仕えていた日本人の日羅が、龍厳寺(後の一乗院)を建てる。
  その後も坊舎や坊主といった仏教と密接な地であったため、「坊津」と呼ばれるようになったと考え
  られている。
   飛鳥時代から、遣唐使船の寄港地となり、「唐(から)の港」、「入唐道(にっとうどう)」とも呼
  ばれるようになった。
   奈良時代、天平勝宝5年12月20日(754年1月17日)に鑑真が渡日6回目にして、近縁の秋妻屋浦(現
  在の秋目地区)に上陸している。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E6%B4%A5

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