○「魏志倭人伝」が記録する邪馬台国と卑弥呼の話を続けているが、今回は太陽崇拝について、考えてみたい。2008年8月に、急遽、思い立って富士山へ登って来た。
・書庫「山の博物誌」ブログ『富士山に登るーその壱ー』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/15488707.html
・書庫「山の博物誌」ブログ『富士山に登るーその弐ー』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/15495465.html
○富士山には富士講と言うのがあって、江戸時代から伝統的に富士登山が盛んに行われていた。ウィキペディアフリー百科事典では、次のように案内している。
富士講
富士講(ふじこう)、浅間講(せんげんこう)
(狭義)江戸時代に成立した民衆信仰のひとつで[1]、特に江戸を中心とした関東で流行した、角行
の系譜を汲むものをいう。講社に留まらず、その宗教体系・宗教運動全般を指すことも多い。「富士
講」と言うと通常はこちらを指している。
(広義)富士山とその神霊への信仰を行うための講社全般。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%AC%9B
○ウィキペディアフリー百科事典の記事を読むと判るように、富士講自体も修験道の系譜に連なるものである。そういう人々が富士山に木花開耶姫を持ち込んだものと思われる。もともと木花開耶姫は日向国人であって、駿河国や甲斐国とは無関係である。本来なら、大山祇神が勧請されるべきなのだが、何故か、娘の木花開耶姫が勧請された。おそらく、女神信仰を前面に打ち出した結果ではないか。
●その富士山に登った際、8合目の蓬莱館と言う山小屋で寝ていると、真夜中だと言うのに、登山道をひっきりなしに人々が富士登山しているのに驚いた。夜中に登山をするなど、信じられない。まさに狂気の沙汰と言うしかない。
●たぶん、こういう富士登山の仕方は富士講に基づくものではないかと思われた。それは間違いなくそれ以前の修験道にまで遡れる。何しろ、富士山頂上は、駿河国一宮である富士山本宮浅間大社の奥宮であり、境内なのだから。
●何故、人々は危険を冒してまでして、真夜中に富士登山をするのか。それは彼らが修験者であり、行者であり、山伏であり、諸菩薩摩訶薩であるからに他ならない。
・書庫「山の博物誌」ブログ『富士山に登るーその壱ー』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/15488707.html
・書庫「山の博物誌」ブログ『富士山に登るーその弐ー』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/15495465.html
○富士山には富士講と言うのがあって、江戸時代から伝統的に富士登山が盛んに行われていた。ウィキペディアフリー百科事典では、次のように案内している。
富士講
富士講(ふじこう)、浅間講(せんげんこう)
(狭義)江戸時代に成立した民衆信仰のひとつで[1]、特に江戸を中心とした関東で流行した、角行
の系譜を汲むものをいう。講社に留まらず、その宗教体系・宗教運動全般を指すことも多い。「富士
講」と言うと通常はこちらを指している。
(広義)富士山とその神霊への信仰を行うための講社全般。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%AC%9B
○ウィキペディアフリー百科事典の記事を読むと判るように、富士講自体も修験道の系譜に連なるものである。そういう人々が富士山に木花開耶姫を持ち込んだものと思われる。もともと木花開耶姫は日向国人であって、駿河国や甲斐国とは無関係である。本来なら、大山祇神が勧請されるべきなのだが、何故か、娘の木花開耶姫が勧請された。おそらく、女神信仰を前面に打ち出した結果ではないか。
●その富士山に登った際、8合目の蓬莱館と言う山小屋で寝ていると、真夜中だと言うのに、登山道をひっきりなしに人々が富士登山しているのに驚いた。夜中に登山をするなど、信じられない。まさに狂気の沙汰と言うしかない。
●たぶん、こういう富士登山の仕方は富士講に基づくものではないかと思われた。それは間違いなくそれ以前の修験道にまで遡れる。何しろ、富士山頂上は、駿河国一宮である富士山本宮浅間大社の奥宮であり、境内なのだから。
●何故、人々は危険を冒してまでして、真夜中に富士登山をするのか。それは彼らが修験者であり、行者であり、山伏であり、諸菩薩摩訶薩であるからに他ならない。