○前回、江戸時代の寛政七年(1785年)に刊行された白尾國柱の「麑藩名勝考」が、吐火羅國や舎衞城について言及している話を書いた。それに拠れば、「日本書紀」の孝徳紀・斉明紀・天武紀に記録されていると言う。白尾國柱は「麑藩名勝考」で、吐火羅國を吐噶喇列島だとし、舎衞城を臥虵島だとする。
○この白尾國柱の考えは、非常に合理的だし、卓見であると評価したい。現代の岩波古典文学大系本「日本書紀」が吐火羅國をタイ国のドヴァラヴァティだとし、舎衞城をインドの町だとするのと全然違う。現代で、なおかつ、岩波古典文学大系本の説は、どう考えても不合理そのものと言わざるを得ない。それに比べて、白尾國柱の説は大いに評価できる。
○これらのことは、現代の中央の人々が日向国をまるで知らないことに起因していると言うしかない。現代に於いて、吐噶喇列島は日本最後の秘境などと評さられているけれども、古代に於いて、吐噶喇列島が日本側からは遣唐使船南島路であり、中国側からは日本仏教伝来路であったことを誰も知らない。そのことは、日本三津の筆頭が坊津であることからも証明されるであろう。もともと、坊津は邪馬台国の主交易港だったのである。
○このことについては、これまで、幾度となく述べて来ているから、ここではこれ以上、触れない。詳しくは、以下のブログを参照されたい。
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吐火羅七島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28038471.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『宝島の正体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28086992.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『宝島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28100706.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『渡加羅島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28139498.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吐火羅と舎衞』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28176565.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『日本書紀が記録する吐火羅と舎衞』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28187169.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『舎衞国が硫黄島である理由』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28219068.html
・書庫「硫黄島」:ブログ『硫黄島が舎衞國であること』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33756821.html
・書庫「吐火羅の旅」:ブログ『トカラ・吐噶喇・吐火羅・寶・渡加羅』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28650496.html
・書庫「吐噶喇往還」:ブログ『吐火羅國・宝島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36775186.html
●「日本書紀」孝徳紀・斉明紀・天武紀の記録する『吐火羅國』『舎衞城』に関する限り、現代の岩波古典文学大系本「日本書紀」より、寛政七年(1785年)の「麑藩名勝考」の方が遥かに合理的で且つ常識的だと言うしかない。そのことは実際に吐噶喇列島を訪れてみると、よく判る。
●前回案内したように、このルートは遣唐使船南島路であり、古来より近世に至るまでずっと利用され続けている。具体的には、次のようになる。
・坊津→硫黄島(56辧
・硫黄島→口永良部島(36辧
・口永良部島→吐噶喇列島口之島(59辧
・吐噶喇列島口之島→吐噶喇列島中之島(14辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(28辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島悪石島→(24辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島宝島(50辧
・吐噶喇列島宝島→舟山群島(600辧
・舟山群島→寧波(150辧
・寧波→会稽(100辧
●全く同じルートであるけれども、逆に中国側から見ると、また違った風景が見えて来る。ルートに名が無いと紹介しづらいので、一応、「日本仏教伝来路」と名付けておく。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧法
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→坊津(56辧
●この遣唐使船南島路及び日本仏教伝来路を眺めると、どういうことが判るか。「坊津→硫黄島(56辧法廚ら「寧波→会稽(100辧法廚泙如■隠宛弔離襦璽箸魄篤發靴燭、そのうち、中心となるのは、あくまで吐噶喇列島だと言うことである。
○この白尾國柱の考えは、非常に合理的だし、卓見であると評価したい。現代の岩波古典文学大系本「日本書紀」が吐火羅國をタイ国のドヴァラヴァティだとし、舎衞城をインドの町だとするのと全然違う。現代で、なおかつ、岩波古典文学大系本の説は、どう考えても不合理そのものと言わざるを得ない。それに比べて、白尾國柱の説は大いに評価できる。
○これらのことは、現代の中央の人々が日向国をまるで知らないことに起因していると言うしかない。現代に於いて、吐噶喇列島は日本最後の秘境などと評さられているけれども、古代に於いて、吐噶喇列島が日本側からは遣唐使船南島路であり、中国側からは日本仏教伝来路であったことを誰も知らない。そのことは、日本三津の筆頭が坊津であることからも証明されるであろう。もともと、坊津は邪馬台国の主交易港だったのである。
○このことについては、これまで、幾度となく述べて来ているから、ここではこれ以上、触れない。詳しくは、以下のブログを参照されたい。
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吐火羅七島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28038471.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『宝島の正体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28086992.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『宝島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28100706.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『渡加羅島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28139498.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吐火羅と舎衞』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28176565.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『日本書紀が記録する吐火羅と舎衞』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28187169.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『舎衞国が硫黄島である理由』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28219068.html
・書庫「硫黄島」:ブログ『硫黄島が舎衞國であること』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33756821.html
・書庫「吐火羅の旅」:ブログ『トカラ・吐噶喇・吐火羅・寶・渡加羅』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28650496.html
・書庫「吐噶喇往還」:ブログ『吐火羅國・宝島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36775186.html
●「日本書紀」孝徳紀・斉明紀・天武紀の記録する『吐火羅國』『舎衞城』に関する限り、現代の岩波古典文学大系本「日本書紀」より、寛政七年(1785年)の「麑藩名勝考」の方が遥かに合理的で且つ常識的だと言うしかない。そのことは実際に吐噶喇列島を訪れてみると、よく判る。
●前回案内したように、このルートは遣唐使船南島路であり、古来より近世に至るまでずっと利用され続けている。具体的には、次のようになる。
・坊津→硫黄島(56辧
・硫黄島→口永良部島(36辧
・口永良部島→吐噶喇列島口之島(59辧
・吐噶喇列島口之島→吐噶喇列島中之島(14辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(28辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島悪石島→(24辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島宝島(50辧
・吐噶喇列島宝島→舟山群島(600辧
・舟山群島→寧波(150辧
・寧波→会稽(100辧
●全く同じルートであるけれども、逆に中国側から見ると、また違った風景が見えて来る。ルートに名が無いと紹介しづらいので、一応、「日本仏教伝来路」と名付けておく。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧法
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→坊津(56辧
●この遣唐使船南島路及び日本仏教伝来路を眺めると、どういうことが判るか。「坊津→硫黄島(56辧法廚ら「寧波→会稽(100辧法廚泙如■隠宛弔離襦璽箸魄篤發靴燭、そのうち、中心となるのは、あくまで吐噶喇列島だと言うことである。