○前回の最後に、こう書いている。
・文化庁は吉野山や大峯山を世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の先頭に掲げて案内してい
る。その認識の仕方も決して十分とは言えない。それがまた残念でならない。このことについて、
述べようと思のだが、本ブログには字数制限があるので、次回に繋げるしかない。
○文化庁には「世界遺産条約:世界遺産一覧表記載推薦提案書:紀伊山地の霊場と参詣道」が存在する。ただ、あまりに長いものだから、ここで案内できない。以下を参照していただくしかない。
世界遺産条約:世界遺産一覧表記載推薦提案書:紀伊山地の霊場と参詣道
http://bunka.nii.ac.jp/suisensyo/kiisanchi/start-j.html
○代わりに、文化庁の文化遺産オンライン「紀伊山地の霊場と参詣道(世界遺産登録年:2004年)」で案内したい。
紀伊山地の霊場と参詣道 (世界遺産登録年:2004年)
紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。
紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。(中略)
このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。
霊場「吉野・大峯」(よしの・おおみね)
紀伊山地の最北部にあり、三霊場の中で最も北に位置しています。農耕に不可欠の水を支配する山あるいは金などの鉱物資源を産出する山として崇められた「金峯山」を中心とする「吉野」の地域と、その南に連続する山岳修行の場である「大峯」の地域からなっています。修験道の中心的聖地として発展し、10世紀の中頃には日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めるようになりました。日本中から多くの修験者が訪れ、「吉野・大峯」を規範として、全国各地に山岳霊場が形成されていきました。<構成資産>
吉野山(よしのやま)、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)、金峯神社(きんぷじんじゃ)、金峯山寺(きんぷせんじ)、吉水神社(よしみずじんじゃ)、大峰山寺(おおみねさんじ)
http://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlinkA
●文中、『6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。』とある。仏教伝来は六世紀とされるけれども、真言密教
・文化庁は吉野山や大峯山を世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の先頭に掲げて案内してい
る。その認識の仕方も決して十分とは言えない。それがまた残念でならない。このことについて、
述べようと思のだが、本ブログには字数制限があるので、次回に繋げるしかない。
○文化庁には「世界遺産条約:世界遺産一覧表記載推薦提案書:紀伊山地の霊場と参詣道」が存在する。ただ、あまりに長いものだから、ここで案内できない。以下を参照していただくしかない。
世界遺産条約:世界遺産一覧表記載推薦提案書:紀伊山地の霊場と参詣道
http://bunka.nii.ac.jp/suisensyo/kiisanchi/start-j.html
○代わりに、文化庁の文化遺産オンライン「紀伊山地の霊場と参詣道(世界遺産登録年:2004年)」で案内したい。
紀伊山地の霊場と参詣道 (世界遺産登録年:2004年)
紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。
紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。(中略)
このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。
霊場「吉野・大峯」(よしの・おおみね)
紀伊山地の最北部にあり、三霊場の中で最も北に位置しています。農耕に不可欠の水を支配する山あるいは金などの鉱物資源を産出する山として崇められた「金峯山」を中心とする「吉野」の地域と、その南に連続する山岳修行の場である「大峯」の地域からなっています。修験道の中心的聖地として発展し、10世紀の中頃には日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めるようになりました。日本中から多くの修験者が訪れ、「吉野・大峯」を規範として、全国各地に山岳霊場が形成されていきました。<構成資産>
吉野山(よしのやま)、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)、金峯神社(きんぷじんじゃ)、金峯山寺(きんぷせんじ)、吉水神社(よしみずじんじゃ)、大峰山寺(おおみねさんじ)
http://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlinkA
●文中、『6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。』とある。仏教伝来は六世紀とされるけれども、真言密教