○前々回、ブログ『天孫降臨の世界山:高千穂峰の所在』の最後に、
・天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が地上に降り立った際、最初に述べられた詔が次の御言葉である。
此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
・何故か、世の学者先生は、この詔に注目なさらない。日本人が地上で最初に発言したこの言葉に
は、当然、深い意味がある。そういうふうに考えるのが常識だろう。この言葉が表現する風景こそが
日向国を代表する風景であり、かつまた、邪馬台国を代表する風景でもある。
と書き、前回、ブログ『天孫降臨の世界山から眺める風景』を書くつもりで書き始めた。
○ところが『日本人が地上で最初に発した言葉』の話が予想以上に長くなり、とうとうブログそのものを『日本人が地上で最初に発した言葉』と改めざるを得なかった。したがって、3回越しのブログ『天孫降臨の世界山から眺める風景』となってしまった。
●その天孫降臨の世界山が霧島山高千穂峰であることは、これまで話して来た通りである。その高千穂峰山頂に、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊は降り立ったとされる。現在、高千穂峰山頂には、それを記念する天逆鉾が建っている。ウィキペディアフリー百科事典が案内する天逆鉾は、次の通り。
天逆鉾
天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)は、日本の中世神話に登場する矛である。一般的に記
紀に登場する天沼矛の別名とされているが、その位置付けや性質は異なっている。中世神話上では、
金剛宝杵(こんごうほうしょ)、天魔反戈(あまのまがえしのほこ)ともいう。宮崎県・鹿児島県境
の高千穂峰山頂部(宮崎県西諸県郡高原町)に突き立てられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%80%86%E9%89%BE
●彦火瓊々杵尊は、高千穂峰に降臨し、次のような詔を発している。
此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
この言葉こそ日本人が地上で最初に発した言葉と言うことになる。少なくとも「古事記」では、そのようになっている。
●問題は此処に出現する「韓国」と「笠沙の御前」と言う二つの固有名詞である。このことが理解されれば、この言葉の意味するところが見えて来る。前回、『日本人が地上で最初に発した言葉』で、「韓国」とは中国本土を意味し、「笠沙の御前」は薩摩半島南部海岸線のいずれかであるとの話をした。それで、ようやく、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊のこの詔の意味内容が見えて来る。
◎当然、その風景は霧島山高千穂峰山頂で見ることとなる。彦火瓊々杵尊の言葉には、最初に『此処は韓国に向ひ』とある。当然、私たちは中国本土が存在する方角を見ることとなる。それはおよそ南西の方角となる。
◎次に出て来る言葉が『笠沙の御前』である。霧島山高千穂峰山頂から南西の方角を眺めると、ちょうど薩摩半島南部海岸線を遠望する格好となる。その薩摩半島南部海岸線のいずれかが『笠沙の御前』である。
◎その次に来るのが『真来通りて』と言う言葉である。前回紹介したように、日本古典文学大系本「古事記」の校注者である倉野憲司は、『真来通りて』を、「真来通りは求ぎ通りで、住むべき地を求めて通る意」とするけれども、そんな無理をする必要は何も無い。ただ、普通に「真っ直ぐ通って」で十分だろう。
◎倉野憲司は「韓国」を朝鮮半島だとし、『笠沙の御前』は不明だとして、何の言及も無い。それでは彦火瓊々杵尊のこの言葉を説明することはできない。つまり、倉野憲司には、彦火瓊々杵尊の見た風景が見えていないのである。それでは、どうしようもない。
◎世の学者先生は日向神話を空想の産物と信じて疑わない。しかし、よくよく「古事記」や「日本書紀」を読むと、日向神話は決して空想の産物などでは無いことが判る。実際、今話しているように、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が地上で最初に発した詔でさえも、きれいに説明できるのだから。
・天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が地上に降り立った際、最初に述べられた詔が次の御言葉である。
此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
・何故か、世の学者先生は、この詔に注目なさらない。日本人が地上で最初に発言したこの言葉に
は、当然、深い意味がある。そういうふうに考えるのが常識だろう。この言葉が表現する風景こそが
日向国を代表する風景であり、かつまた、邪馬台国を代表する風景でもある。
と書き、前回、ブログ『天孫降臨の世界山から眺める風景』を書くつもりで書き始めた。
○ところが『日本人が地上で最初に発した言葉』の話が予想以上に長くなり、とうとうブログそのものを『日本人が地上で最初に発した言葉』と改めざるを得なかった。したがって、3回越しのブログ『天孫降臨の世界山から眺める風景』となってしまった。
●その天孫降臨の世界山が霧島山高千穂峰であることは、これまで話して来た通りである。その高千穂峰山頂に、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊は降り立ったとされる。現在、高千穂峰山頂には、それを記念する天逆鉾が建っている。ウィキペディアフリー百科事典が案内する天逆鉾は、次の通り。
天逆鉾
天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)は、日本の中世神話に登場する矛である。一般的に記
紀に登場する天沼矛の別名とされているが、その位置付けや性質は異なっている。中世神話上では、
金剛宝杵(こんごうほうしょ)、天魔反戈(あまのまがえしのほこ)ともいう。宮崎県・鹿児島県境
の高千穂峰山頂部(宮崎県西諸県郡高原町)に突き立てられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%80%86%E9%89%BE
●彦火瓊々杵尊は、高千穂峰に降臨し、次のような詔を発している。
此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
この言葉こそ日本人が地上で最初に発した言葉と言うことになる。少なくとも「古事記」では、そのようになっている。
●問題は此処に出現する「韓国」と「笠沙の御前」と言う二つの固有名詞である。このことが理解されれば、この言葉の意味するところが見えて来る。前回、『日本人が地上で最初に発した言葉』で、「韓国」とは中国本土を意味し、「笠沙の御前」は薩摩半島南部海岸線のいずれかであるとの話をした。それで、ようやく、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊のこの詔の意味内容が見えて来る。
◎当然、その風景は霧島山高千穂峰山頂で見ることとなる。彦火瓊々杵尊の言葉には、最初に『此処は韓国に向ひ』とある。当然、私たちは中国本土が存在する方角を見ることとなる。それはおよそ南西の方角となる。
◎次に出て来る言葉が『笠沙の御前』である。霧島山高千穂峰山頂から南西の方角を眺めると、ちょうど薩摩半島南部海岸線を遠望する格好となる。その薩摩半島南部海岸線のいずれかが『笠沙の御前』である。
◎その次に来るのが『真来通りて』と言う言葉である。前回紹介したように、日本古典文学大系本「古事記」の校注者である倉野憲司は、『真来通りて』を、「真来通りは求ぎ通りで、住むべき地を求めて通る意」とするけれども、そんな無理をする必要は何も無い。ただ、普通に「真っ直ぐ通って」で十分だろう。
◎倉野憲司は「韓国」を朝鮮半島だとし、『笠沙の御前』は不明だとして、何の言及も無い。それでは彦火瓊々杵尊のこの言葉を説明することはできない。つまり、倉野憲司には、彦火瓊々杵尊の見た風景が見えていないのである。それでは、どうしようもない。
◎世の学者先生は日向神話を空想の産物と信じて疑わない。しかし、よくよく「古事記」や「日本書紀」を読むと、日向神話は決して空想の産物などでは無いことが判る。実際、今話しているように、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊が地上で最初に発した詔でさえも、きれいに説明できるのだから。