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廬山:九叠谷・東門

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○三叠泉から九叠谷の谷沿いに下り始めたのは、11時ころであった。谷の両脇は切り立った岩面で、西谷の如琴湖湖畔にあった「世界地質公園Global Geopark」の案内板にあったように、この谷もV字谷と言うより、U字谷のように思われた。

○つまり、この谷は、氷河の侵食によって地表がU字状に削り取られて生じた侵食谷と言うことになる。日本では、なかなかお目に掛かれない珍しいものである。そういうものが標高1000辰砲盻爾燭覆い箸海蹐埜ることができる。廬山はそういう山でもある。

○U字谷であるからして、谷底が広い。だから、圧迫感が無い。それでも両脇の壁面は頗る高い。途中、観瀑台とか、駱駝峰、鉄壁峰とかの案内板が設置されているのを見ながら下って行った。

○更に下ると、飛来石の案内が見え、天門潭に到着。ここには清浄な滝があって、滝壺が潭となっている。もっと下ると、玉川門を経て、鷹嘴峰、含珠石などが存在し、11時52分に、ようやく三叠泉風景区管理処に到着した。

○三叠泉を少し下ったところあたりから、五老峰が見え始め、谷を下る間、ずっと五老峰は見え隠れしていた。廬山で、最も格好良い山は五老峰であるように思われる。その風景を存分に楽しむことが出来た。

○三叠泉風景区管理処には、中国の観光地でよく見掛ける電動カートがあって、「乗れ乗れ」と頻りに勧める。「幾らか?」と筆談で尋ねると、「東門まで3元、海会鎮站まで20元」だと言う。すっかり疲れていたので、乗ることにした。

○一番前の席に座る。まだ人が乗っていないから、暫く人待ちである。車掌らしき女性が「東門でタクシーを拾えば、150元で九江市まで行く」と書いて教えてくれた。疲れ果てていたので、「そうする」と言って、3元を支払った。

○一時待って、10人ほどの団体が来たので、それを乗せてカートは出発。すぐに東門である。私はここで降りた。見回すと、広い駐車場には車が沢山あるし、タクシーも数台停車しているのだが、肝心の運転手が居ない。どうすることも出来なくて、暫く待つ。

○山から数人連れが下りて来た。すると、東門管理所みたいなところからタクシーの運転手が出て来て、下りて来た人を乗せて行った。どうやら、運転手は管理所に居るみたいであった。

○そちらへ歩いて行こうとしたら、一人の運転手が出て来た。タクシーに乗ったので、「九江市まで」と書いたメモ帳を見せると、「駄目、行かない。海会鎮站までだったら行く」とおっしゃる。

○見ると、相当くたびれたタクシーで、これでは九江市まで走らないだろうと諦めて、海会鎮站まで乗せていただいた。車はかなり厳しい状況で、道は完全な下りだと言うのに、途中、何度かエンスト仕掛けた。これではとても九江市まで行くのは無理である。

○運転手が「ここが海会鎮站だ」と言う。そこで降りて敷地内へ入ると、これまた古いマイクロバスが二台駐車していた。案内板も看板も見えないので、心配になって奥へ行こうとすると、おばちゃんが出て来て、「何処へ行くのか」と尋ねる。「九江市まで」と言うと、目の前の古いマイクロバスを指差し、「これに乗れ」とおっしゃる。他に人は誰も居ない。

○言われた通り、そのバスに乗ると、何処からともなく、唐突に運転手が出て来て、エンジンを掛けた。すると、そのおばちゃんが乗って来た。おばちゃんは車掌だった。5元を支払って、いよいよ九江市へ向かって出発する。乗客は私一人で、時間は12時36分だった。もちろん、見晴らしの良い、一番前の席に座った。

○道に出たら、二人連れが手を挙げる。するとドアを開けて、おばちゃんは二人を乗せて出発。海会鎮はのどかな町であった。人がどんどん乗って来て、あっと言う間に10人以上の乗客となった。

○海会鎮から九江市まではおよそ18劼曚鼻F擦亙丗三車線はあろうかと言う大道である。その割に車は至って少ない。ポプラの並木道が果てしなく続いている。舗装はコンクリート製だから、頗る揺れる。バスはガタガタと音を立てて疾走する。

○途中、バス停に停まるのだが、初めての者には、何処がバス停か、皆目見当が付かない。バス停毎に人がドンドン乗って来て、九江市前で超満員となった。そこから先は、バス停も通過して、一目散に九江市へ向かった。

○九江市から廬山へは、その名も「廬山大道」と言う道が一直線に走っている。私は南門から廬山へ入ったが、普通には九江市を出発して、「廬山大道」経由で北門から廬山へ入る。

○その廬山大道を真っ直ぐ行った先が潯陽東路となって、そこに九江长途汽车站が存在することは、事前に調べていた。ちなみに、九江长途汽车站から、廬山山上の牯岭街まで36辧▲丱肯繕癸横宛気任△襦

○当然、このバスも九江长途汽车站へ行くものとばかり思っていた。しかし、バスは廬山大道から左折し、九江站方向へ向かう。何処へ行くのだろうと思っていると、九江站近くで停車し、皆降り出した。車掌のおばちゃんに「九江市?」と聞くと「そうだ」と答える。それで下車した。

○後で判ったことだが、九江长途汽车站そのものが移転していたのであった。中国は、今、大発展の最中で、こんなことはしょちゅうある。何も珍しいことではない。

○海会鎮站を出発したのが12時36分で、九江市到着は13時30分であった。予定では、三叠泉から含鄱口を観光し、牯岭街まで帰って、九江市行きのバスに乗る予定だった。それなら、九江市到着は、おそらく夕方になっていたはずである。

○廬山、含鄱口は見物出来なかったが、その代わりに、九叠谷を存分に堪能することができた。次回は、是非とも、九叠谷を遡って、三叠泉、五老峰、含鄱口と見物したい。そんなことを思わせる絶景であった。

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