直鳥クリーク公園
○直鳥クリーク公園は、南北に流れる城原川のすぐ脇に存在した。東西に走る国道264号線から50辰曚鋲遒愼辰燭箸海蹐砲△辰拭8爐瞭蠍法∪藺綸陳の農産物販売所「菱の里ちよだ」が存在し、その先に駐車場があった。 ○駐車場前に案内板があり、次のような説明があった。 直鳥城と環濠集落の成り立ち 直鳥城跡は、南流する城原川が、国道264号線と交わる直鳥橋西南200辰留Υ澆飽銘屬垢...
View Article廬山の歴史
○前回、ブログの最後に、 ただ、廬山が知られるのは、晋代になってからである。晋代、廬山は道教の聖地であり、仏教の道 場であった。しかし、司馬遷の時代に、すでに廬山の名が存在したことも留意すべきであろう。どう 考えても、廬山の名は、特別である。司馬遷の時代に、すでに廬山には、仙人や道士が参集していた としか考えられない。それが廬山の名の由来なのではないか。...
View Article廬山と安世高
○安世高は、2世紀の僧侶である。廬山には、一時期、安世高が逗留したとの伝承が残る。当時、廬山で修行する仏教徒が存在したから、安世高は廬山を訪れたと思われる。 ○ウィキペディアフリー百科事典が載せる安世高は、次の通り。 安世高 安世高(あん せいこう、生没年不詳)は、後漢代に西域から渡来した訳経僧。字は世高。...
View Article神埼荘の津
○今回、「神埼荘」を訪れた最大の目的は、神埼荘の津を知ることにあった。ウィキペディアフリー百科事典には、神埼荘について、実に簡単に述べるだけで、全く参考にならない。諸本が出ているのだろうが、田舎に住む者にとって、そういうものを見る機会はなかなか無い。...
View Article廬山の慧遠
○廬山の仏教に関係して、前回、「廬山と安世高」と題して、安世高の話を書いたが、廬山と言えば、何と言っても慧遠を忘れることはできない。 ○ウィキペディアフリー百科事典が載せる慧遠は、次の通り。 慧遠 (東晋) 慧遠(えおん、334年 - 416年)は、中国の東晋、廬山に住んだ高僧。隋代、浄影寺の慧遠と区別...
View Article神崎荘
○今回、神埼を訪れたのは、日宋貿易で神埼荘が重要な拠点であったことに拠る。ウィキペディアフリー百科事典が載せる「神崎荘」の項目は、極めて簡単なもので、前にも案内しているが、再度載せると、 神崎荘 神埼荘(かんざきのしょう)は、平安時代~室町時代にかけて肥前国にあった荘園。神崎荘とも。 皇室領。 【所在】 肥前国神埼郡。現在の佐賀県神埼市。 【規模】...
View Article虎溪三笑
○陶淵明と廬山の慧遠に関係して、興味深い話が中国には残されている。それが「虎溪三笑」で、中国には多くの「虎溪三笑図」が存在するらしい。 ○取り敢えず、中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる虎溪三笑から見てみたい。 虎溪三笑 【传说】 佛门传说。虎溪在庐山东林寺前,相传晋僧慧远居东林寺时,送客不过溪。一日陶潜、道士陆修静来访,...
View Article吉野ヶ里遺跡
○吉野ヶ里遺跡とは、一体、何なのだろうか。現在、国営吉野ヶ里歴史公園のHPには、次のようにある。 http://www.yoshinogari.jp/contents2/?categoryId=1 吉野ヶ里遺跡の紹介 【吉野ヶ里遺跡とは】 紀元前3世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた 日本の文化の原点ともいえる時代です。...
View Article廬山:西谷・花径・錦綉谷
○廬山の歴史を振り返ると、話は何処まで何時まで続くか判らない。このままでは旅行記がまるで先に進まないから、一旦、廬山の歴史は中断し、旅行記に戻りたい。...
View Article廬山:仙人洞・御碑亭
○廬山牯嶺街の観光案内所で購入した地図に拠れば、牯嶺街から西谷へ500辰曚媛爾辰燭箸海蹐如右上から下って来る道と出会う。そこから先は环山路となっているようである。 ○西谷から更に1劼曚环山路を下ると、仙人洞停車場に到着する。廬山鑫締賓館ホテルから、ここまで約2劼曚媛爾辰突茲燭海箸砲覆襦今朝の散歩はここまでのつもりだった。...
View Article肥国:建日向日豊久士比泥別
○「古事記」「日本書紀」に拠れば、筑紫島には面が四つあって、「古事記」では、そのそれぞれに名があったと言う。その名は、 ・筑紫国:白日別 ・豊国:豊日別 ・肥国:建日向日豊久士比泥別 ・熊曾国:建日別 とする。この中で「肥国:建日向日豊久士比泥別」だけが異常に長いのが気になる。 ○「古事記」では、筑紫島の前に、伊豫之二名島の面四つとそれぞれの名を案内している。 ・伊豫国:愛比賣...
View Article廬山:含鄱口・五老峰
○2013年6月13日、朝の散歩からホテルに帰って来たのは7時過ぎだった。ホテルで朝食を済まして、身支度を調え、いよいよ廬山観光である。 ○前日の夜に、ホテルのフロントで、いろいろと情報を手に入れた。また、日本に居る時にある程度は調べて居た。それで、廬山観光で最もポピュラーな「含鄱口→五老峰→三叠泉」ルートを行くことにした。...
View Article水天宮
○神埼荘の姉川クリーク・横武クリーク・直鳥クリークを見学した後、国道264号線を走り、久留米市瀬下町に鎮座まします水天宮へ向かった。直鳥クリークの存在する神埼市千代田町直鳥から久留米市瀬下町の水天宮まではおよそ15劼曚匹任△襦 ○これまで数回、水天宮にはお参りしている。水天宮は何とも気になる神社である。インターネットでは、全国総本宮水天宮のHPが存在し、その「御祭神・由緒」には、次のように載せる。...
View Article廬山:三叠泉
○廬山を代表する風景と言えば、何なのだろうか。廬山は巨大な山塊であって、その各所に自然美を有するし、随所に歴史的文化遺産が散在している。あまりにその数は多く、廬山の代表的見物を周遊するだけでも、優に三日から五日は要するに違いない。...
View Articleしらぬひ 千歳
○神埼荘とは、直接関係ないのであるが、水天宮まで出掛けて来たので、ついでに、「しらぬひ 千歳」の話もしておきたい。話は筑後川についての話である。 ○「万葉集」に、『しらぬひ』と言う枕詞がある。私見に拠れば、 白縫 筑紫乃綿者( 336) 斯良農比 筑紫國( 794) 之良奴日 筑紫國(4331) 三箇所に出現する枕詞である。...
View Article廬山:五老峰
○廬山の最高峰は漢陽峰(1474叩砲世、廬山で、最も親しまれている山は五老峰(1436叩砲世隼廚錣譴襦C羚颪慮〆┘鵐献麌甘戮妊劵奪箸垢襦庐山旅游攻略:百度旅游」のHPでも、廬山で見逃すことのできないものとして、 【不可错过的亮点】 1含鄱口:含鄱口上等日出 2三叠泉:赏瀑布飞流三千尺 3五老峰:五老峰上看青天 4庐山恋影院:看一场《庐山恋》 5细品:庐山云雾茶...
View Article高良玉垂命
○『仁和寺にある法師』は、「徒然草」第52段に載る話である。 仁和寺にある法師 仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、 ただひとり、徒歩よりまうでけり。 極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそ...
View Article廬山:九叠谷・東門
○三叠泉から九叠谷の谷沿いに下り始めたのは、11時ころであった。谷の両脇は切り立った岩面で、西谷の如琴湖湖畔にあった「世界地質公園Global Geopark」の案内板にあったように、この谷もV字谷と言うより、U字谷のように思われた。...
View Article神仏習合
○前回、「徒然草」第52段が載せる『仁和寺にある法師』の話を紹介した。その中で、 ・私たちは『年は取る』ものだと思っているが、本来、『年は寄る』ものなのである。「石清水」は 石清水八幡宮を指すが、兼好法師はここでも、参詣するとか、参拝するとか、お参りするとか、幾 らでも表現の仕様があるにの、わざわざ『拝む』を使用している。...
View Article李白:望廬山瀑布
○2013年6月12日から13日に掛けて、中国江西省に存在する廬山へ出掛けて来た。これまで、廬山の始まりと廬山観光について書いて来たが、廬山文学について、一言も述べていないのが心残りである。 ○廬山文学について、中国の検索エンジン百度の百度百科「廬山」の項目は、 ・自东晋以来,诗人们以其豪迈激情、生花妙笔,歌咏庐山的诗词歌赋有4000余首。东晋诗人谢灵运的...
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