○今回、「神埼荘」を訪れた最大の目的は、神埼荘の津を知ることにあった。ウィキペディアフリー百科事典には、神埼荘について、実に簡単に述べるだけで、全く参考にならない。諸本が出ているのだろうが、田舎に住む者にとって、そういうものを見る機会はなかなか無い。
○それで、実際、神埼を訪れれば、そういうことが少しは理解されるのではないかと思って、僅か半日ではあったが、神埼市に存在する、横武クリーク公園、姉川クリーク、直鳥クリーク公園と見学してきた。
○神埼荘を知ろうと思えば、本当は、神埼荘の総鎮守である櫛田宮や、白角折神社、高志神社などを訪れるべきなのだろうが、神埼荘の津の方に興味関心があったので、神埼市の中央部を流れる城原川に見当を付けて出掛けた。
○実際、佐賀市諸富町には大津や大堂津などの地名が存在し、そこはちょうど城原川が筑後川と合流する地点となっている。西からは佐賀江川もここに合流している。地図上で、この辺りに神埼荘の津が存在したのではないかと思った次第である。
○家に帰ってから、インターネットで、いろいろと検索していたら、「かんざき@NAVI」と言うのがヒットし、その中に、神埼荘の津について書いてあった。「かんざき@NAVI」がどういうものかについては、利用案内に次のようにあった。
神埼市デジタルミュージアム「かんざき@NAVI」
神埼市デジタルミュージアム「かんざき@NAVI」は、神埼の地域資源の情報や、写真などを閲覧で
きる、インターネット上の博物館です。
一口に博物館と言っても、収蔵されているデータを閲覧するだけではなく、神埼市の魅力を、様々
な角度、様々な切り口から見ることが出来るようになっています。
佐賀県神埼市は、日本の歴史上非常に重要な歴史遺産が、数多く残されている歴史豊かなまちです。
神埼市では、このような多くの魅力的な歴史遺産を活かしたまちづくりを進めています。
神埼市デジタルミュージアム かんざき@NAVIは、「神埼市歴史文化遺産を活かしたまちづくり基本
計画」に基づき、構築、運営されています。
○その「かんざき@NAVI」の中に、『テーマ別の特集』があって、その中の一つに、神埼まちあるき癸供愕な佞量鐇現戸遒噺殿紊猟鼎鯔ねる』と言う特集が組まれていて、神埼荘の津について述べてあった。
神埼荘の「津」 荒堅目・蔵戸
神埼には、興味深い地名が多く見られます。田手川と馬場川に挟まれえた地区には、「蔵戸」とい
う地名があります。鎌倉期には「倉戸郷」、江戸時代には倉戸村と呼ばれています。
蔵土の名は、古代の神埼屯倉に属す「蔵部」に由来するともいわれ、また、『櫛田大明神由緒記』
には櫛田宮造営の木材を倉戸津へ船で運んだとあり、当地に「津」が置かれていたことが分かります。
昭和59年に行われた発掘調査では、西に隣接する現在の荒堅目地区の東端部において、多くの井戸
跡や柵列・溝跡などが確認され、現在の荒堅目集落位置に柵や溝で区画された鎌倉時代の施設の存在
が確認されています。出土遺物には、木簡や帯金具・硯など役所施設などで多く見られる遺物や緑釉
陶器や墨書土器なども多数見つかっています。
まだ、詳細は分かっていませんが、文献記録や発掘調査の成果と地形等より、蔵戸と荒堅目一帯に
神埼荘の「津」が置かれていたと考えれています。
この荒堅目遺跡は、縄文時代晩期~弥生時代前期より人々の生活が行われており、海を舞台にした
漁撈と交易により営まれた集落と言えます。
ほ場整備事業施工前までは、非常に大規模な堀があり、戦前頃までは田手川・馬場川を利用した船
による物資の運搬が行われていたそうです。
○私は現在の神埼市中心部を流れる城原川に見当を付けて出掛けたが、実際は、城原川よりずっと小河川である馬場川と田手川の下流域に神埼荘の津は存在したらしい。
○今回の旅行では、時間が無くて、神埼市で見たものは、横武クリーク公園、姉川クリーク、直鳥クリーク公園に過ぎない。まだ、櫛田宮や、白角折神社、高志神社にも参拝していない。今後、機会があったら、再度、出掛けてみたい。