○安世高は、2世紀の僧侶である。廬山には、一時期、安世高が逗留したとの伝承が残る。当時、廬山で修行する仏教徒が存在したから、安世高は廬山を訪れたと思われる。
○ウィキペディアフリー百科事典が載せる安世高は、次の通り。
安世高
安世高(あん せいこう、生没年不詳)は、後漢代に西域から渡来した訳経僧。字は世高。
安息国(パルティア)の太子であったが、王位を伯父に譲り、出家修道に志し、諸方を遊歴するよ
うになった。安息国では、部派仏教に属する説一切有部が流行していたため、世高は禅観の法や阿毘
達摩に通じていた。
桓帝代の建和2年(148年)に、都の洛陽に来朝した。その後、20年にわたって訳経を行い、30部余
りの経典を漢訳した。
後世の僧祐は、「幅広く経典を修めていて、中でもアビダルマの学問に精通しており、禅に関する
経典も暗誦し、その綱要をほぼ了解していた」と評している(『出三蔵記集』巻13)。
○中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる安世高は、もっと詳しい。
安世高
安世高(约二世纪),本名为清,字世高,本名清,以字行,出家前是安息国(亚洲西部的古国,领
有伊朗高原与两河流域)的王太子。
【1背景介绍】
安世高(约二世纪),本名为清,字世高,以字行,出家前是安息国(亚洲西部的古国,领土有伊朗
高原与两河流域)的王太子。自小聪明仁孝,刻苦好学,博览国内外典籍,通晓天文、地理、占卜、推
步等术,尤精于医学,名声远播,西域各国对他都很敬重。安世高是小乘佛经的首译者。
【2基本资料】
[出身]
安世高(约二世纪),本名为清,字世高,是西域安息国的王太子。是小乘佛经的首译者。印度佛教
传入中国,在中国发展,最终形成中国佛教,大致经历译经、形成学派、创立宗派三阶段。印度佛教在
中国最初的传播,是与译经相联系的,最早的一批译经者,不是中国本土人士,而是西域来华僧人。安
世高可以说是佛经汉译的创始人,他首先译介了印度小乘佛教禅类的经典。
【3生平】
[弘法译经]
安世高,名清,字世高,原是安息国太子。据《出三藏记集》卷十三载,他博学多识, 外国典籍,
莫不该贯,七矅五行之象,风角云物之占,推步盈缩,悉穷其变,兼洞晓医术,妙善针脉,睹色知病,
投药必济.是一位集通晓天文、风角、医学于一身的佛教徒,在西域各国远近闻名。父王死后,他 深悟
苦、空,厌离名器 ,不继承王位,把它让给了叔父,自己出家修道, 博综经藏,尤精《阿毗昙》学
(按:指上座部系统说一切有部的理论学说),讽持禅经,略尽其妙.曾游历西域各国,通晓各国语
言。在汉桓帝建和二年(公元148年)来到洛阳,不久学会汉语。那时,佛教传入中国内地已有一百多
年了,在宫廷中和社会上已有不少信仰者,为了让社会上更多的人更好地了解佛教,信仰佛教,安世高
即从事佛经的翻译工作。到汉灵帝建宁年间(公元168年- 172年)为止,翻译工作长达20余年。汉灵帝
末年,中原战乱,安世高避乱到江南的江西、浙江等地。有不少关于他的神奇故事在民间流传,晚年踪
迹不详,在中国活动约30年。据说最后病死于会稽(今浙江绍兴)。
詳細は、以下を参照されたい。
http://baike.baidu.com/link?url=aXw2zKsS8gnsNpEeZfoBAdCa4xDvAxSvPOjGqt5UJFTRgfztNBwJUSonujcHFWpZ
○仏教が中国に伝来したのは、紀元前後と言われる。そういう中で、上記案内にもあるように、安世高は仏教漢訳の創始と言われる人物である。ただ、安世高が伝えたのは、小乗仏教であった。
○また、初期の仏教が道教と密接な関係にあったことも見逃せない。ある意味、道教の聖地であった廬山が仏教の聖地となったのも、このことと深く関係している。
○そういうふうに、中国では、道教の中で仏教は醸成している。後に、中国仏教は禅宗に一色化されるが、それは、もともと、中国仏教が最初から道教と極めて近い関係にあったからではないかと思われる。
○日本から、中国仏教を眺めると、様々なものが見えて来て興味深い。日本では仏教は単一ではなく、13宗56派と言ったふうに、多くの宗派に分かれて存在している。ちなみに、13宗とは、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗を指す。
○また、13宗は、大きくは、
・華厳宗、法相宗、律宗、
・真言宗、天台宗、日蓮宗、
・浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、
・曹洞宗、臨済宗、黄檗宗
に分けられるのではないか。その『浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗』の故地が廬山となる。
○我が家の宗派は、西本願寺派の浄土真宗である。そういう意味でも、一回は、廬山を訪れてみたかった。法然や親鸞が志した仏教の原点がここには存在していたわけである。
○そのことについては、次回に触れたい。