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虎溪三笑

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○陶淵明と廬山の慧遠に関係して、興味深い話が中国には残されている。それが「虎溪三笑」で、中国には多くの「虎溪三笑図」が存在するらしい。

○取り敢えず、中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる虎溪三笑から見てみたい。

      虎溪三笑
  【传说】
   佛门传说。虎溪在庐山东林寺前,相传晋僧慧远居东林寺时,送客不过溪。一日陶潜、道士陆修静来访,
  与语甚契,相送时不觉过溪,虎辄号鸣,三人大笑而别。
   后人于此建三笑亭。唐英(1682-1756年)题庐山东林寺三笑亭联云:
  桥跨虎溪,三教三源流,三人三笑语;莲开僧舍,一花一世界,一叶一如来。

○インターネットで検索すると、様々な訳・解説が紹介されている。その中から、いくつか参考までに案内したい。
  ・東洋画の画題。晋の慧遠(えおん)法師が、廬山の東林寺で行を積んでいて虎渓を渡るまいと誓ったが、
   訪ねてきた陸修静・陶淵明を送り、話に夢中になって虎渓を渡ってしまったのに気づき、三人とも
   に大いに笑ったというもの。三笑。
  ・中国の故事。廬山の慧遠法師は、虎溪(谷)を越えて外出しない誓いを立てていたが、儒者陶淵明
   と道士陸修静とが訪れたとき、見送りに談笑しすぎて虎溪の石橋を渡ってしまい、三人で大笑いし
   たという話。史実ではないが儒仏道三教の親和を表した話で、画題にもなっている。
  ・晋の慧遠(えおん)法師は、廬山に隠棲して二度と虎渓の石橋を越えまいと誓ったが、訪ねてきた陶
   淵明(とうえんめい)・陸修静を送って行きながら話に夢中になって不覚にも石橋を渡ってしまい、
   三人で大笑いして別れたという、「廬山記」の故事。東洋画の画題。三笑。
  ・話が佳境に入り夢中で話し込んでいると、思わず時の経つのも忘れ、自分たちのいる場所もわから
   なくなってしまうことがあります。意気投合して、談笑するのを楽しむことわざです。
   出典は「盧山記」。儒、仏、道の三賢者が一同に会して話をしたところ、お互いにつきない興味を
   感じ、すっかり夢中になってしまったという故事です。
   中国での浄土教の開祖である慧遠法師は来客を送る際、精舎の下の虎渓という谷川のところで足を
   とめ、そこを渡ることをしない戒律を守っていました。
   ところが詩人の陶淵明と道家の大家である陸修静が来訪して、三者でそれぞれの専門分野について
   話し合ったとき、さすがに興が乗じて、慧遠法師は思わず「安居禁足の掟」に従わず、虎渓を越え
   てしまい、虎のほえる声を開いて、初めてそれに気づいて、三人とも大笑いをしたとのことです。

○「虎溪三笑」は、仏教徒である慧遠の住む廬山の東林寺へ、儒者である陶淵明と、道士である陸修静が訪れた話となっている。つまり、仏教、儒教、道教の三教の達人が一堂に会し、鼎談したと言う話である。

○ここで、陶淵明は道家ではなく、儒家として認識されている。「盧山記」は宗代の陳舜兪の作とされるが、虎溪三笑の話そのものは唐代には広く知られていた気配がある。そういう時代に、陶淵明が儒家として認識されていた事実は興味深い。

○実際は、慧遠(334~416)と陶淵明(365~416)、陸修静(406~477)が同時期に廬山に存在する可能性は皆無であるから、虎溪三笑の寓話は創作でしかあり得ない。しかし、話としては実に面白い。

○ある意味、慧遠と陶淵明、陸修静の三人は古代の廬山を代表する人物と言えよう。そういう人物が廬山の東林寺で鼎談したとなると、それがどんな話だったか、興味は尽きない。

○廬山は、その名が示す通り、その起源からして、信仰の山であった。多くの道士がここには参集していた。そこに仏教徒が集まり出し、仏教の聖地としても知られるようになった。その時代が慧遠の居た頃となる。

○陶淵明が「飮酒二十首・其五」詩で、
  結廬在人境    廬を結びて人境に在り
  而無車馬喧    而も車馬の喧しき無し
と詠い出すのにも、十分理由がある。「廬」は廬山に結ぶものと決まっている。それなのに、「人境に在」るのは、普通ではない。陶淵明は廬山に廬を結びたいのに、それが出来ない理由がある。それでやむなく「人境に在」るのである。

○そうすれば、
  採菊東籬下    菊を採る 東籬の下
  悠然見南山    悠然として南山を見る
句の意味するところも、自ずから見えてくる。「人境に在」る陶淵明が庭に出ると、南山、廬山が夕陽に輝いて美しい。その廬山には、多くの道士が存在するのである。
  山氣日夕佳    山気 日夕に佳し
  飛鳥相與還    飛鳥 相ひ与に還る
景色が何を意味するかは、誰が考えても同じであろう。老子はそれを「無為自然」と表現し、荘子はそれを「大帰」「大得」と言う。

○それに対して、陶淵明は、
  此中有眞意    此の中に真意有り
  欲辯已忘言    弁ぜんと欲して已に言を忘る
と応じる。

○陶淵明は「弁ぜんと欲して已に言を忘る」と謙遜するけれども、すでに十分辯じている。ここに存在するのは、陶淵明の廬山への憧憬以外の何物でも無い。

○ちなみに、「虎溪三笑」の舞台である東林寺は廬山の西麓に存在する。陶淵明記念館から10劼睥イ譴討い覆ぁ今回の旅行で訪れたいところの一つであったが、時間が無くて諦めざるを得なかった。

○何しろ、廬山は巨大な山塊である。その随所に名所旧跡が充ち満ちている。僅か一泊で見ることは不可能なことは言うまでもない。

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