○2018年の立春に当たり、立春に関する詩を鑑賞している。これまで、
〕絮:京中正月七日立春 張九齡:立春日晨起對積雪 4斂Ы媽磧 ´ゐ褂掘立春
ツロ函立春偶成 朱淑貞:立春 陸游:立春日 ┷顕録紂立春
上官昭容:奉和聖制立春日侍宴内殿出翦彩花應制 杜甫:立春
白居易:立春日酬錢員外曲江同行見贈 晁沖之:立春 楊萬里:十二月二十一日迎春
范成大:立春 趙懷玉:舟中立春 袷附函Ц沙斃·立春
運百澄Т禅椽奸ξ春日 牡啀誓弌Ю狭尚·立春 獲立春日游苑迎春
翰匁瀘ぁх栂の春蜂蝶輩出 仝琚:柳梢青·元月立春
∩彷渓筺奉和立春日侍宴內出剪彩花應制 b此検Э容春 の龜蒙:立春日
ツ攻:立春 η魑鎔廖立春後五日 白居易:六年立春日人日作
李益:立春日寧州行營因賦朔風吹飛雪 李适:奉和立春遊苑迎春
沈佺期:奉和立春游苑迎春
と、30首を見て来た。
○今回案内するのは、崔の『立春内出彩花應制』詩である。
【原文】
立春内出彩花應制
崔
澹蕩春光滿曉空
逍遙御輦入離宮
山河眺望雲天外
台榭參差煙霧中
庭際花飛錦繡合
枝間鳥囀管弦同
即此歡娯齊鎬宴
唯應率舞樂風
【書き下し文】
立春内に、彩花を出すに、應制す
崔
澹蕩する春光は、曉空に滿ち、
逍遙する御輦は、離宮に入る。
山河の眺望は、雲天の外、
台榭の參差は、煙霧の中。
庭際に花の飛ぶは、錦繡と合し、
枝間に鳥の囀るは、管弦に同じ。
即ち此れ歡娯するに、鎬宴に齊しく、
唯だ應に率舞して、風を樂しむべし。
【我が儘勝手な私訳】
立春の日、彩勝彩花を切り出し、皇帝の命に応じて作った詩
崔
春の長閑な景色は、朝の空気の中に満ち満ちて、
春の遠出から帰って来た皇帝の御輦は、離宮の中へと入って行く。
山や川は、春の姿となって、何処までも続き、
高台や大樹の姿は、霧の中に煙って見えている。
庭には様々な春の花が咲き乱れ、錦の刺繍となっているし、
樹間で囀る鳥たちの声は、まるで音楽のようである。
それはすなわち、天下太平、君臣同楽の歓待であり娯楽であって
またそれはすなわち、慶賀の至りであって、存分に春を謳歌すべきである。
○崔も、日本では、ほとんど馴染みの無い詩人である。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する崔は、次の通り。
崔
崔(shí)(671年-713年),字澄澜,定州安喜(今河北定县)人,唐朝宰相,中书侍郎崔仁师
之孙。户部尚书崔挹之子。
崔出身于博陵崔氏安平房,进士及第,曾参与编纂《三教珠英》,先后依附于武三思、上官婉儿,
由考功员外郎累迁至中书侍郎、同平章事。后因典选受贿被贬为江州司马,不久又起复为尚书左丞。
唐中宗驾崩后,崔依附韦皇后,改任吏部侍郎。唐隆政变后,他又依附太平公主,升任同中书门下
三品,并进中书令。开元元年(713年),唐玄宗铲除太平公主,崔被流放岭南,途中被赐死。时年
四十三岁。
https://baike.baidu.com/item/崔/9749366?fr=aladdin