○高適の詩を、『同諸公登慈恩寺浮圖』詩から、『田家春望』詩、『詠史』詩、『銅雀妓』詩、『宋中』詩、『夜別韋司士』詩と続けている。今回は、高適の『送李少府貶峡中王少府貶長沙』詩である。
【原文】
送李少府貶峡中王少府貶長沙
高適
嗟君此別意何如
駐馬銜杯問謫居
巫峡啼猿数行涙
衡陽歸雁幾封書
青楓江上秋天遠
白帝城邊古木疎
聖代即今多雨露
暫時分手莫躊躇
【書き下し文】
李少府の峡中に貶せられ、王少府の長沙に貶せらるるを送る
高適
嗟、君、此の別れ、意や何如、
馬を駐め、杯を銜んで、謫居を問ふ。
巫峡に猿啼けば、数行の涙、
衡陽に雁歸れば、幾封の書。
青楓江の上、秋天遠くして、
白帝城の邊、古木疎らなり。
聖代の即今、雨露多し、
暫時手を分かつも、躊躇すること莫かれ。
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【我が儘勝手な私訳】
嗚呼、李少府と王少府の二人にとって、今回の左遷はいかばかりであろうか。
両少府の馬を引きとめ、別れの杯を取り、配所の場所が何処かを尋ねるばかりである。
長江巫峡の猿の泣き声は、幾筋もの涙を誘うし、
南岳衡山の回雁峰からは、何通の手紙が返ってくるだろうか。
湖南省長沙の青楓江のほとりからは、都のような文化も無くて、
四川省白帝城のあたりには、歴史文化もほとんど無いに違いない。
現在の玄宗皇帝の御代は聖代だから、天子の恵みも多い、
しばらくの間、別れるけれども、配所へ行くことを決して躊躇ってはならない。