○これまで、『陌上桑』詩を次のように見て来た。
¥綏(漢楽府诗)
陌上桑(曹操詩作)
o綏(魏文帝曹丕詩)
わ綏(魏國曹植詩)
ワ綏(呉均詩作)
陌上桑(王筠詩作)
э綏(王台卿詩作)
陌上桑 (唐代李白詩作)
○引き続き、今回は、陸龜蒙詩作の『陌上桑』である。
【原文】
陌上桑(陸龜蒙詩作)
皓齒還如貝色含
長眉亦似煙華貼
鄰娃盡著繡襠襦
獨自提筐采蠶葉
【書き下し文】
陌上の桑(陸龜蒙詩作)
皓齒は還た貝色を含むが如く、
長眉は亦た煙華を貼るに似る。
鄰娃は盡く繡襠襦を著はにし、
獨り自から筐を提げて、蠶の葉を采る。
【我が儘勝手な私訳】
美人の白い歯は、あたかも貝の仄かな紅を含むようだし、
美人の長い眉は、ちょうど古代煙華で引いたように美しい。
隣の美人は悉く上着も下着も袴も露わにして、
小箱を下げて、畦道に生えている桑の木から桑の葉を採っている。
○日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する陸龜蒙は、次の通り。
陸龜蒙
陸亀蒙(りく きもう、陸龜蒙、? - 881年)、字は魯望、唐の蘇州呉県(今の蘇州市)の人、自ら
江湖散人・甫里先生、または天隨子と号する。則天武后の時の宰相陸元方の七代目の子孫であり、父
の陸賓虞はかつて侍御史を務めた。(中略)
陸亀蒙の墓は蘇州甪直古鎮保聖寺にある。後人が彼を記念するために、彼が生前闘鴨を好んだこと
にちなみ、一辺の溜め池“闘鴨池”を開き、蓮を植えて数羽の鴨を飼っている。池の中には涼亭があ
り、甫里先生が読書した場所と伝える。甫里先生の墓は涼亭の側にあり、墓碑には「唐賢甫里先生之
墓」と刻まれている。涼亭の後ろには天高く聳える二株の古銀杏があり、先生が手ずから植えてすで
に一千年以上になるものと伝える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/陸亀蒙
○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する陸龜蒙は、次の通り。
陆龟蒙
陆龟蒙(?~公元881年),唐代农学家、文学家、道家学者,字鲁望,号天随子、江湖散人、甫里
先生,长洲(今苏州)人。曾任湖州、苏州刺史幕僚,后隐居松江甫里(今甪直镇),编著有《甫里先
生文集》等。 他的小品文主要收在《笠泽丛书》中,现实针对性强,议论也颇精切,如《野庙碑》、
《记稻鼠》等。陆龟蒙与皮日休交友,世称“皮陆”,诗以写景咏物为多。
【人物简介】
陆龟蒙(?~公元881年):字鲁望,长洲(今苏州)人,唐朝文学家、农学家、藏书家。
他年轻时豪放,通六经大义,尤精《春秋》。举进士不第后,从湖州刺史张博门下游,隐居松江甫
里,人称“甫里先生”。置园顾渚山下,不与流俗交接,常乘船设蓬席,备束书、茶、笔、勺具, 任
游江湖间。所作诗文对晚唐时弊多所抨击。诗以咏物写景为多。家多藏书,史称其“癖好藏书”,收藏
多至3万卷。每得一本珍本图书,熟读背诵后加以抄录,并多加校雠后再行抄写,以至于每书有一副本
保存。借人一书,一旦有破损和“篇秩坏舛”,必加以“辑褫刊正”。与当朝有藏书者多诗词酬唱,曾
与徐修矩和诗有《奉和袭美二游诗·徐诗》曰:“伟矣开元中,王道真平平。八万五千卷,一一皆涂
铅”。后封官左拾遗,未到任即卒。编著有《笠泽丛书》4卷。另有《杂讽九首》、《耒耜经》、《小
名录》、《甫里集》等,宋叶茵辑有《唐甫里先生文集》。
他与皮日休为友,世称“皮陆”,诗以写景咏物为多,是唐朝隐逸诗人的代表。
陆龟蒙的成就不仅体现在文学上,农学上同样造诣非浅,他撰写的《耒耜经》是一部描写中国唐朝末
期江南地区农具的专著。
https://baike.baidu.com/item/陆龟蒙/1262858?fr=aladdin
○インターネットで陸龜蒙を検索したところ、当古代文化研究所のブログが二つもヒットして驚いた。多くの人に読んでもらえているようで、嬉しい。
・書庫「無題」:ブログ『陸龜蒙:立春日』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41303799.html
・書庫「安徽省:宣城」:ブログ『陸龜蒙:懷宛陵舊遊』
https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/40289534.html
○陸龜蒙詩作の『陌上桑』詩は、陌上の桑を摘む美女の情景のみに終始している。肝心の『陌上桑』詩のテーマである、出陣した主人の留守を守る女性像は、欠落している。そういうことは判っていて表現しないのかも知れない。