○本居宣長に「國號考」があって、天明7(1787年)、宣長58歳の時に刊行されている。その中で、宣長はやまと地名の探索に悪戦苦闘している。もちろん、宣長は大和国にやまと地名起源を求めているわけである。
○大和国でやまと地名の起源を求めたところで、それは無理と言うものだろう。やまと地名はもともと大和国のものでは無いからである。やまと地名は、本来、日向国のものである。それを大和国で求めたところで、出現することはない。
○同じように、大和国には大和三山が存在する。
・畝傍山(199.2m)
・香具山(152.4m)
・耳成山(139.7m)
○まさか、大和三山が他所に存在するとは、誰もが疑わない。しかし、本物の大和三山も日向国のものである。それは次のように案内される。
・うねびやま=霧島山(1700叩
・かぐやま=桜島山(1117叩
・みみなしやま=開聞岳( 924叩
○枕詞「天降付く」は、香具山に掛かる枕詞である。その枕詞「天降付く」を世界中で説明できる場所は一カ所しかない。そこが本当の香具山であることは誰が考えても判ることである。本ブログでは、長々とその話を続けている。その場所こそが日向国である。具体的には鹿児島県霧島市福山町になる。
●同じように、出雲国と言えば、誰もが中国地方の島根県だと信じて疑わない。その出雲地名に掛かる枕詞が存在する。それが枕詞「八雲立つ」である。それでは、出雲国の何処に枕詞「八雲立つ」風景が出現するのであろうか。
●そういう話を、とんと聞いたことがない。それなのに、誰もが出雲国は島根県だと思っている。しかし、枕詞「八雲立つ」を研究すると、出雲地名は、もともと出雲国のものでは無いことが判る。これが「言葉の力」であり、日向国の恐ろしさである。
●日向国では21世紀の現代に於いても、枕詞「八雲立つ」風景を見ることができる。まるでそれはおどろおどろしい風景である。古代人は、それを見て感動し、あるいは畏怖し、鬼界が島とも呼んだ。
●「古事記」で、須佐之男命が、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
と詠じた風景を、21世紀の現代に於いても見ることができる。信じられないかも知れないが、本当である。それが日向国である。それが枕詞の恐ろしさである。
◎『八雲立つ 出雲八重』は、少なくとも江戸時代までは存在した。そのことを天保十四年(1843年)の「三国名勝図会」には、次のように記している。
【硫黄峯】(在番衙より、寅方、半里許)
此の峯硫黄を産するを以て、名を得たり。此の峯當島の東西にありて、海上より聳へ立ち、形状奇
高なり。土俗の説に、登り三里、下り一里といへども、大抵半里許もあるべし。山面都て焼け石に
て、草木生ぜず。山の中腹より上は、処々硫黄燃え上がり、山頂最も多く燃え出づ。硫黄の所出は、
時々変はり移りて、一方に多く出れば、一方は少なくなるといへり。此の島の絶頂に圓池あり。径り
十四五間深さ十四間、昔日は水ありしに今は常になしとかや。池内よりは硫黄を吹き出す。この池よ
り半町許北の方に、石礫を高さ三尺許、横幅五尺許、積み立てありて神体と稱ず。土人祈願の為に、
鉾等を寄進して、建て置く。春秋の彼岸には、土人参詣せり。女人は禁制といへども、十三歳以下の
女子は其の禁を許す。絶頂には時々燈明燃え点ずる事ありて、十二月晦日の夜には、必ず見ゆといへ
り。其の外、岳神に祈願等をなせる時は、燈明現はるとて、土人甚だ崇敬す。神廟は山下に勧請し
て、蔵王権現と号す。
◎これが『八雲立つ 出雲八重』の正体である。須佐之男命は天上神話の存在であるはずなのに、何故か地上に『八雲立つ 出雲八重』は存在した。間違いなく、須佐之男命は出雲神である。
◎硫黄島では、『八雲立つ 出雲八重』を、山下に勧請して斎き祀っているとする。その名を蔵王権現と号すとある。それなら、出雲神は蔵王権現と同一と言うことになる。硫黄島で斎き祀られている神が神仏習合であることの意義は大きい。
◎フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』が載せる蔵王権現は、次の通り。
蔵王権現
蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。正式名称は金剛
蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)。インドに起
源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金
剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿
で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/蔵王権現
◎つまり、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島の硫黄岳山頂に、江戸時代まで存在したことが確認される『石礫を高さ三尺許、横幅五尺許、積み立て』てご神体とした『八雲立つ 出雲八重』を、江戸時代には、蔵王権現と呼び称していたことが判る。
◎その同じものを、神代の時代に、須佐之男命は『八雲立つ 出雲八重』と呼び称していた。このことが教えることの意味は大きい。その前に、処理しておきたいのが、枕詞「八雲立つ」である。
◎現在の私たちの誰もが出雲国と言えば島根県だと思っている。しかし、もともと、出雲地名は日向国のものである。そのことを端的に示してくれるのが枕詞「八雲立つ」である。
◎『八雲立つ 出雲八重』が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島のものであることは間違いない。それが現実の風景として、現在でも見ることが出来る。つまり、出雲地名は、日向国のものであることが証明される。
◎これが日向国の枕詞である。大和地名も出雲地名も日向国のものである。そのことを枕詞が教えてくれる。これが「言葉の力」であるし、文化と言うものである。文化は耕さない限り、活動しない。
◎枕詞は「万葉集」が載せる和歌の修辞として認識されている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、次のように載せる。
枕詞
枕詞(まくらことば)とは、主として和歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて語調を整え
たり、ある種の情緒を添える言葉のこと。序詞とともに万葉集の頃から用いられた技法である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/枕詞
◎日向国の枕詞は違う。日向国では今でも枕詞は現実だし、生きている。枕詞を研究しようとするなら、日向国に出掛けるに如くは無い。枕詞「天降付く」も、枕詞「八雲立つ」も、日向国では、現実の風景として見ることが出来る。是非、お出掛けを。