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荒嶽神社(荒武神社)

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○昨日、2018年12月13日に、霧島山高千穂峰へ登って来た。都城市庄内から西岳を通って霧島山まで行く。西岳の吉之元小学校の前に、荒武神社の案内標識が建っていることに気付いた。前から気になっていた神社である。それで、帰り道に立ち寄った。

○県道31号線から吉之元小学校の方へ右折し、学校の正門前の道を右に曲がり、少し登ると、右手に小さいながらも瀟洒な神社が見えてくる。それが荒嶽神社であった。

○神社の境内に、「荒武神社の由来」の案内板があった。それには、次のように記されている。
      荒武神社の由来
            安永村西嶽字吉野
   荒武神社は、応永三年(九六三)に天台宗南泉院の末で性空上人によって、
  霧島山不動堂明観寺と同時に、境内に荒武六所権現として造られ、霧島山の南門とする。
   鳥羽天皇の天永三年二月二日に、霧島山が大噴火し、頂上の逆鉾が西嶽村山中の不動石に
  落下し、荒武神社に御神体として奉安さる。御神体は終戦直後に紛失するが、二〇〇一年、
  地元出身の丸山一英氏より御神体が寄贈され、同時に神社の社も地区住民の念願がかない
  新築される。
   祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・天忍穂耳尊・瓊々杵尊・火火出見尊・葺不合尊・
  神武天皇の八神である。
    ・祭祀九月九日
    ・祭日十一月二十五日
            荒武神社奉賛会

●以前、霧島六所権現を探索している際、荒嶽神社の名は、何度も目にしている。一つくらい、ブログを案内しておきたい。
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『「三国名勝図会」の霧島神社総数諸説』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40707538.html

●「三国名勝図会」には、あちこちに荒嶽神社の名が出現する。その中で、もっとも詳しいのは、「三国名勝図会」巻之五十八『日向国:諸県郡:都城之一:神社』が載せる荒嶽権現社ではないか。
      荒嶽権現社〔領主館より戌亥方、五里許〕
   安永村、西嶽にあり、神体、霧島嶽矛峰上に建てる、御鉾の折刃なり、祭神八座、伊弉諾尊・伊弉
  冊尊・天照大神・天忍穂耳尊・瓊々杵尊・火火出見尊・葺不合尊・神武天皇、是なり、座主明観寺、
  當社と同所にあり、性空上人明観寺を建るの時、當社も同じく造立し、霧島山の南門とす。古棟札は
  火災に羅りて焼亡す。寶徳四年、弘治元年、再興の棟札あり。祭祀九月九日なり。

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