○2018年12月25日に、内之浦の高屋神社へ参詣した。その時、隣にある天子山にも詣でた。天子山は、摩訶不思議な史跡と言うしかない。こういう伝承が残っていることに注目したい。
○現地に、肝付町教育委員会が建てた案内板が設置してあった。それを、ここでは紹介したい。
天子山(町指定文化財)
内之浦には景行天皇一連の伝承がある。
薩摩藩の名勝誌によると天皇は熊襲親征の為、海路河原瀬に上陸、小田に一泊されてより、叶嶽
(峰の岡)に登り郷内を見渡し給い皇居の地を定め給うたのが天子山で、景行天皇記にいう高屋宮の
跡といわれている。
また、滞在中、高屋山上陵より彦火火出見尊のご神霊を遷して高屋神社を創建されたことが神社記
にある。
三国名勝図会に天子山の中間に籬を設けその中に二つの大甕あり一つは周五尺八寸、口径一尺三寸
石をもって蓋とする。一つは倒木で壊れる。昔は甕上に屋を構う。今廃して四隅に柱礎のみあるとか
いてある。神社記によると、
天子山一社、一間方、外廻石垣
一反三畝十六歩(社地六歩)
風致保安林中には、かってはビロウ樹、大きな枦もあり現在は枦の木の地名で生きている。また、
天子山は内之浦湾の中央部に面してしるので枦木前田遺跡群の中心部に位置している。天子山をめぐ
る歴史は高屋山上陵が一八七四(明治七年)再治定されなかったこと、及び戦後の歴史観の変わった
こと等厳しい時代に入っている。
しかし、日向神話と埋蔵文化財を包含する天子山は貴重なる歴史遺産である。
二〇〇〇年一月 肝付町教育委員会
○別に、内之浦町教育委員会が建てた古い史跡案内も存在する。こちらは、そうとう痛んでいて、読み取ることが難しくなっている。以前、写した写真で、何とか読むことができた。
史跡案内
天子山
高屋神社東方ここ天子山は景行天皇紀にいう高屋宮の跡である。
内之浦町には景行天皇についての一連の伝説があってこれらは、薩藩の名勝誌に記されている。
即ち「天皇は熊襲親征の為海路河原瀬に到着小田に一泊されより叶嶽(峰の岡ともいう)に登り
郷内を叡覧し給い皇居の地を定め給ふたのがここ天子山である。
日本書紀には「天子山の中間に籬を設けその内に二の大甕あり一つは周五尺八寸口の径一尺三寸
石を以って蓋とする。一つは享保十四年倒れ木の為に壊しとぞ寸尺審ならず昔は甕上に屋を構ふ。今
廃して四隅に其柱礎のみを存す。
中略此の文の如く天皇是に在すこと凡そ六年時に高屋神社をも営み勧請し給へるものなり………」
とある。
昭和五十九年十月建立 内之浦町教育委員会