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鹿児島はなぜ鹿児島と言う?

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○前回、ブログ『ダイヤモンド桜島』を書いて、鹿児島に関する苦言を呈したばかりである。
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『ダイヤモンド桜島』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41635368.html

○苦言のついでに、もう一つ、気になる話をしておきたい。それが『鹿児島はなぜ鹿児島と言う?』と言う話である。この話は、随分昔に書いた記憶がある。
  ・書庫「鹿児島はなぜ鹿児島と言う?」:10個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/321692.html?m=l

○振り返ってみると、2008/1/29(火) から2008/2/5(火) に書いたことになっている。今年は2019年だから、もう10年以上昔の話である。その『鹿児島はなぜ鹿児島と言う? 戮遼粗は、次のように書いている。
  ・鹿児島は、なぜ鹿児島と言うのか、鹿児島の人に聞けば分かると思うかも知れないが、鹿児島の人
  にも、鹿児島はなぜ鹿児島と言うか、よく分かっていない。その証拠に、昭和59年(1984年)
  12月20日発行の「隼人文化」で、鹿児島の歴史学者、平田信芳は以下のように記している。
     鹿児島の風土について言及する場合、桜島を除外して考えることは許されない。燃えて火を吐
    くその巨大な姿は鹿児島の象徴的存在でもあり、昔からよく歌にうたわれ、多くの人々によって
    描かれて来た。鹿児島に住む者にとっては、それほど身近な存在でありながら、その地名の由来
    は何かと、こと改めてふり返る時、従来の説にはあいまいなものが多い。そのことに改めて驚か
    された。そこで、手元にある史料を駆使して、その由来を分析してみたい。(「桜島考」)

○今となっては、懐かしい文章だが、この話は今でも十分通用する。鹿児島の人に鹿児島は何故鹿児島と言うのか。聞いたところで、満足な答えは返って来ない。そんな馬鹿な話は無い。

○そう思われるだろうが、それは本当の話である。当古代文化研究所では、そのことを10年以上も昔に指摘している。それなのに、鹿児島では時が止まったかのように、鹿児島に頓着しない。そんなどうでも良い話では無いと思うのだが。

○当古代文化研究所は、宮崎県の都城盆地のど真ん中にある。清流大淀川が流れ、霧島山高千穂峯が美しい。風光明媚を地で行くところである。ここでは、ほとんどの学校の校歌に、必ずと言って良いほど、高千穂峯が歌われている。その高千穂峯が天孫降臨の世界山だと教えられるし、標高が1574辰世噺世Δ海箸髻悗い舛瓦覆掘戮慮賚す腓錣擦廼気┐蕕譴襪里如△修譴海宗⊂学生でも、そういうことを知っている。

○鹿児島では、どうして、桜島が鹿児島だと教えないのだろうか。今はどうだか知らないが、以前、鹿児島の県報だったか、市報だったか、忘れたが、鹿児島には鹿の子が多かったので鹿児島と言うのを見て、驚いた記憶がある。

○『鹿児島はなぜ鹿児島と言う?』のは、余所者の私には、どうでも良いことだが、鹿児島の人にとっては、極めて大事な要件なのではないか。せめて、自分の住むところの地名由来くらいは、誰でも知りたい。それが人情と言うものだろう。

○そういうふうに、まず足元から固めて行くと言うのが、人間の知性の第一歩だとされる。それが教育の始まりでもある。それをこれ程、いい加減に放置しているところも珍しい。

○逆に、何故、鹿児島の人々は、鹿児島はなぜ鹿児島と言うのかを気にしないのかが、よく判らない。是非とも、教えてもらいたいものである。余所者の私には、極めて、不可解なことである。

○と言うのも、前回にも書いているが、平成24年(2013年)は、古事記編纂1300年の記念すべき年であった。同じように、2021年は、日本書紀編纂1300年の記念すべき年になる。そういう時代に、日向国の都であった鹿児島県では、いったい、何をして、何をしようと言うのだろうか。寡聞にして、聞いたことがない。

○これでは、鹿児島は文化を理解しないところと断じられても仕方の無い話である。日向神話の舞台が日向神話をまるで語らない。こんな不思議な話は無い。鹿児島の人は日向神話をご存じ無いのだろうか。

○大和国には、大和三山が存在する。
  畝傍山(199.2m)
  香具山(152.4m)
  耳成山(139.7m)

○しかし、あれはレプリカに過ぎない。本物の大和三山は、鹿児島県に存在する。
  ・うねびやま=霧島山(1700叩
  ・あめのかぐやま=桜島山(1117叩
  ・みみなしやま=開聞岳(924)

○これは紛れも無い事実である。それなのに、鹿児島は何もご存じ無い。何とも不幸な話と言うしかない。

○加えて、うねびやま=霧島山高千穂峯は天孫降臨の世界山でもある。ここから日本国は始まったと古事記も日本書紀も明記している。
  「古事記」    竺紫日向之高千穂之久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
  「日本書紀」本文 日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
           槵日二上天浮橋(くしひのふたがみのあまのうきはし)
       一書 |淹臚眄虔槵觸之峯(つくしのひむかのたかちほのくじふるのたけ)
       一書◆‘槵日高千穂之峯(ひむかのくしひのたかちほのたけ)
       一書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋(ひむかのそのたかちほのくしひのふたがみの
                            たけのあまのうきはし)
       一書ぁ‘映傾眄虔翕沙格覆劼爐のそのたかちほのそほりのやまのたけ)

○『鹿児島はなぜ鹿児島と言う?』を理解すると言うことは、そういうことである。「徳不孤、必有隣。」ではないけれども、「知は孤ならず、必ず隣り有り。」であって、『鹿児島はなぜ鹿児島と言う?』を理解できれば、多くの情報を得ることができる。

○まずは、『鹿児島はなぜ鹿児島と言う?』を理解すると言うことは、そういうことである。余所者の私が言うことではないかも知れないが、私には、気になって仕方が無い。もちろん、それは教育する者の責務であり、行政機関の問題であり、鹿児島の文化を司る者の問題だろう。

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