○中国の検索エンジン百度百科が載せる「九華山」項目に、『歴代題詠』があって、劉禹錫の『九華山歌』を冒頭に案内している。
○また、百度百科には、別に、『九華山歌』の項目もある。その劉禹錫の「九華山歌」は、次の通り。
【作品原文】
詩前小引
昔予仰太華,以為此外無奇;愛女幾、荊山,以為此外無秀。
及今見九華,始悼前言之容易也。惜其地偏且遠,不為世所稱,故歌以大之。
九華山歌
奇峰一見驚魂魄,意想洪爐始開闢。
疑是九龍夭矯欲攀天,忽逢霹靂一聲化為石。
不然何至今,悠悠億萬年,氣勢不死如騰仚。
雲含幽兮月添冷,月凝輝兮江漾影。
結根不得要路津,迥秀常在無人境。
軒皇封禪登雲亭,大禹會計臨東溟。
乘樏不來廣樂絕,獨與猿鳥愁青熒。
君不見敬亭之山黃索漠,兀如斷岸無棱角。
宣城謝守一首詩,遂使聲名齊五岳。
九華山,九華山,自是造化一尤物,焉能籍甚乎人間。
【書き下し文】
[詩前小引]
昔予太華を仰ぎ、以為へらく、此の外に奇無しと。
女幾、荊山を愛し、以為へらく、此の外に秀無しと。
今、九華を見るに及び、始めて前言の容易なることを悼む。
其の地に偏にして且つ遠く、世の稱する所と為さざるを惜しみ、
故に歌ひて以て之を大とす。
九華山歌
奇峰は一見して魂魄を驚かし、
意は洪爐の始めて開闢するを想ふ。
疑ふらくは是れ、九龍の夭矯して天に攀らんと欲し、
忽ち霹靂に逢ひ、一聲して化して石と為るかと。
然らずんば何ぞ今に至るまで、悠悠と億萬年、
氣勢の死せずして、騰仚の如くならん。
雲は幽を含み、月は冷を添へ、
月は輝を凝らし、江は影を漾す。
結根は路津を要するを得ずして、
迥秀は常に無人の境に在り。
軒皇は封禪するに雲亭に登り、
大禹は會計するに東溟に臨む。
樏に乘り來たらざれば、廣樂の絕え、
獨り猿鳥と與に、青熒を愁ふ。
君見ずや、敬亭の山の黃、索漠として、
兀は斷岸にして棱角無きが如きを。
宣城謝守の一首詩、遂に聲名をして五岳に齊しからしむ。
九華山、九華山、自から是れ造化の一尤物にして、
焉んぞ能く人間に籍甚ならんや。
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○また、百度百科には、別に、『九華山歌』の項目もある。その劉禹錫の「九華山歌」は、次の通り。
【作品原文】
詩前小引
昔予仰太華,以為此外無奇;愛女幾、荊山,以為此外無秀。
及今見九華,始悼前言之容易也。惜其地偏且遠,不為世所稱,故歌以大之。
九華山歌
奇峰一見驚魂魄,意想洪爐始開闢。
疑是九龍夭矯欲攀天,忽逢霹靂一聲化為石。
不然何至今,悠悠億萬年,氣勢不死如騰仚。
雲含幽兮月添冷,月凝輝兮江漾影。
結根不得要路津,迥秀常在無人境。
軒皇封禪登雲亭,大禹會計臨東溟。
乘樏不來廣樂絕,獨與猿鳥愁青熒。
君不見敬亭之山黃索漠,兀如斷岸無棱角。
宣城謝守一首詩,遂使聲名齊五岳。
九華山,九華山,自是造化一尤物,焉能籍甚乎人間。
【書き下し文】
[詩前小引]
昔予太華を仰ぎ、以為へらく、此の外に奇無しと。
女幾、荊山を愛し、以為へらく、此の外に秀無しと。
今、九華を見るに及び、始めて前言の容易なることを悼む。
其の地に偏にして且つ遠く、世の稱する所と為さざるを惜しみ、
故に歌ひて以て之を大とす。
九華山歌
奇峰は一見して魂魄を驚かし、
意は洪爐の始めて開闢するを想ふ。
疑ふらくは是れ、九龍の夭矯して天に攀らんと欲し、
忽ち霹靂に逢ひ、一聲して化して石と為るかと。
然らずんば何ぞ今に至るまで、悠悠と億萬年、
氣勢の死せずして、騰仚の如くならん。
雲は幽を含み、月は冷を添へ、
月は輝を凝らし、江は影を漾す。
結根は路津を要するを得ずして、
迥秀は常に無人の境に在り。
軒皇は封禪するに雲亭に登り、
大禹は會計するに東溟に臨む。
樏に乘り來たらざれば、廣樂の絕え、
獨り猿鳥と與に、青熒を愁ふ。
君見ずや、敬亭の山の黃、索漠として、
兀は斷岸にして棱角無きが如きを。
宣城謝守の一首詩、遂に聲名をして五岳に齊しからしむ。
九華山、九華山、自から是れ造化の一尤物にして、
焉んぞ能く人間に籍甚ならんや。
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