●たまたま、前回のブログで、梅原猛の「葬られた王朝」~古代出雲の謎を解く~」(2010年:新潮社刊)の話を書いた。その梅原猛の訃報が先日掲載された。なかなか書く機会も無いので、ここで哀悼の意を述べておきたい。
○哲学者、梅原猛が2019年1月12日亡くなったとの訃報が15日の朝刊に掲載されていた。享年93歳だと言う。1925年の大正14年丑年生まれである。
○朝日新聞の一面では、次のように伝えている。
梅原猛さん死去
93歳哲学者、日本古代史
独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、
京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、肺
炎のため、京都市内の自宅で死去した。93歳だった。
○同じ日の宮崎日日新聞一面の記事は、次の通り。
梅原猛さん死去
93歳哲学者、日向神話に光
古代史や文学、宗教などを横断し「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立てた戦後日本を
代表する哲学者で、2000年には「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」を刊行し、本県を舞台とし
た日向神話に新たな光を当てるなどした文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日
午後4時35分ごろ、京都市左京区の自宅で死去した。93歳。仙台市出身。
○宮崎日日新聞は、同じ日の25面にも、追悼記事を載せている。
死去
「神話 魅力広めてくれた」
県内関係者らあ人柄しのぶ
戦後日本を代表する哲学者の梅原猛さん(93)は、本県を舞台とした日向神話にまつわる著書
「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」を執筆するなど「日向神話」に光を当て、高千穂町を中心と
した観光発展にも大きく影響した。訃報が伝わったのは14日、生前親交があった県内の関係者は
「離れた場所にいても本県を思ってくれていた」と故人をしのんだ。
○翌1月16日の朝日新聞28面の文化・文芸欄には、次のような追悼文が掲載された。
人類の来し方行く末 最後まで
梅原猛さんを悼む
さまようほかない情念に熱い共感
哲学者:鷲田清一
日本古代学、基層文化論、そして仏教論、能藝論、さらにスーパー歌舞伎や小説の創作と、じつに
幅広い仕事をしてこられたが、哲学が「本籍地」だとの思いは最後まで消えることはなかった。哲学
会に早々と見切りをつけ、わが道を進まれた後でも、ちょうど『日本人の「あの世」観』に収められ
た論考を書き継いている頃だろうか、若手哲学者の研究会後の酒席にしばしば駆けつけ、後輩たちと
の議論を楽しまれた。近年、残る時間でこれだけはと言っておられたのも、壮大な≪人類哲学≫の構
想だった。(中略)
だが、最後の最後まで、梅原さんが気に掛けていたのはやはり、自身の、そして同時代人の、さま
よえる魂の来し方、行く末であった。わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか。うつろいてゆく
魂の、そのうつろいの向きに関心はいつも収斂していった。3年半前、先に逝った鶴見俊輔が「真理
とは方向感覚である」と言っていたその感覚を共有していた。そんな京都のまちで同時代を過ごせた
ことが、いまはせめてもの慰めである。
○
○哲学者、梅原猛が2019年1月12日亡くなったとの訃報が15日の朝刊に掲載されていた。享年93歳だと言う。1925年の大正14年丑年生まれである。
○朝日新聞の一面では、次のように伝えている。
梅原猛さん死去
93歳哲学者、日本古代史
独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、
京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、肺
炎のため、京都市内の自宅で死去した。93歳だった。
○同じ日の宮崎日日新聞一面の記事は、次の通り。
梅原猛さん死去
93歳哲学者、日向神話に光
古代史や文学、宗教などを横断し「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立てた戦後日本を
代表する哲学者で、2000年には「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」を刊行し、本県を舞台とし
た日向神話に新たな光を当てるなどした文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日
午後4時35分ごろ、京都市左京区の自宅で死去した。93歳。仙台市出身。
○宮崎日日新聞は、同じ日の25面にも、追悼記事を載せている。
死去
「神話 魅力広めてくれた」
県内関係者らあ人柄しのぶ
戦後日本を代表する哲学者の梅原猛さん(93)は、本県を舞台とした日向神話にまつわる著書
「天皇家の”ふるさと”日向をゆく」を執筆するなど「日向神話」に光を当て、高千穂町を中心と
した観光発展にも大きく影響した。訃報が伝わったのは14日、生前親交があった県内の関係者は
「離れた場所にいても本県を思ってくれていた」と故人をしのんだ。
○翌1月16日の朝日新聞28面の文化・文芸欄には、次のような追悼文が掲載された。
人類の来し方行く末 最後まで
梅原猛さんを悼む
さまようほかない情念に熱い共感
哲学者:鷲田清一
日本古代学、基層文化論、そして仏教論、能藝論、さらにスーパー歌舞伎や小説の創作と、じつに
幅広い仕事をしてこられたが、哲学が「本籍地」だとの思いは最後まで消えることはなかった。哲学
会に早々と見切りをつけ、わが道を進まれた後でも、ちょうど『日本人の「あの世」観』に収められ
た論考を書き継いている頃だろうか、若手哲学者の研究会後の酒席にしばしば駆けつけ、後輩たちと
の議論を楽しまれた。近年、残る時間でこれだけはと言っておられたのも、壮大な≪人類哲学≫の構
想だった。(中略)
だが、最後の最後まで、梅原さんが気に掛けていたのはやはり、自身の、そして同時代人の、さま
よえる魂の来し方、行く末であった。わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか。うつろいてゆく
魂の、そのうつろいの向きに関心はいつも収斂していった。3年半前、先に逝った鶴見俊輔が「真理
とは方向感覚である」と言っていたその感覚を共有していた。そんな京都のまちで同時代を過ごせた
ことが、いまはせめてもの慰めである。
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