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「魏志倭人伝」を読む⑧

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○「魏志倭人伝」が記録する卑弥呼は、極めてわずかなものである。全部で5回。それは、以下のようになる。
  ∥斤∨榾魄蔽忙勸找Αそ纂携十年,倭國亂,相攻伐歷年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼,事鬼
  道,能惑衆,年已長大,無夫壻,有男弟佐治國。自為王以來,少有見者。以婢千人自侍,唯有男子一
  人給飲食,傳辭出入。居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衞。
  ⊂杤駟麩曾曰:「制詔親魏倭王卑彌呼:帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使都巿牛利奉汝所
  獻男生口四人,女生口六人、班布二匹二丈,以到。
  O曾θ榕集灘亢蘚枹男王卑彌弓呼素不和,遣倭載斯、烏越等詣郡說相攻擊狀。
  と榕集動併燹ぢ膾醯蓮ぷ揺奇步,徇葬者奴婢百餘人。
  ド卑彌呼宗女壹與,年十三為王,國中遂定。

○ここから卑弥呼像を思い描くことは至難の業と言うしかない。ただ、当時の倭国三十国が次のようであったことを考えると、また、違う意味での卑弥呼像が思い描かれるのではないか。「魏志倭人伝」が案内する倭国三十国は、次の通り。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○つまり、南九州三国と言うのは、日本最古の史書とされる「古事記」「日本書紀」に拠れば、旧日向国(熊襲国)であることが判る。その旧日向国は、後世、薩摩国・大隅国・日向国の三国に分かれる。それが、ほぼ、投馬国・邪馬台国・狗奴国の三国に合致する。
  ・邪馬台国=薩摩国
  ・狗奴国=大隅国
  ・投馬国=日向国

○その「邪馬台国=薩摩国」が、卑弥呼の居た邪馬台国になる。それなら、日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」に、卑弥呼の残像くらいは残っていそうなものである。そうやって、多くの方が、「古事記」や「日本書紀」に、卑弥呼の残像を求める。

○もともと、「日本書紀」そのものがそのことを次のように記録している。
  (神功皇后摂政三十九年)
  魏志云、明帝景初三年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。
  (神功皇后摂政四十年)
  魏志云、正始元年、遣建中校尉梯儁等、奉詔書印綬、詣倭國也。
  (神功皇后摂政四十三年)
  魏志云、正始四年、倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人、上獻。

○つまり、「日本書紀」編纂者自体が、「魏志倭人伝」を読んでいて、それが神功皇后の御代であったと認識していることが判る。「日本書紀」の成立は720年とされるから、その時代の判断である。

○留意すべきは、「魏志倭人伝」の成立は三世紀のことで、「古事記」や「日本書紀」の成立は八世紀だから、両者にはおよそ五百年の時代差が存在すると言うことである。普通であれば、後世の史料の方が参考になることが多い。しかし、「魏志倭人伝」は同時代の倭国を案内している点で、唯一無二の存在でもある。それに、史料としての価値は「魏志倭人伝」の方が遥かに高い気がする。

○それは「日本書紀」が「魏志倭人伝」の記録を神功皇后の御代だとしているところにも、現れている。「魏志倭人伝」を読む限り、倭国三十国は九州島に存在していたことが判るし、卑弥呼の居た邪馬台国は薩摩半島になる。それであれば、神功皇后の事跡とは、まるで異なる。

○「日本書紀」の編者が、無理に「魏志倭人伝」の記録を神功皇后の御代としているところが気になる。「日本書紀」は、五百年前の日本がそのような状況だったと考えて歴史を編纂しているわけである。しかし、どう考えても時代が合わない。

○どう考えても、邪馬台国や卑弥呼の時代は、「古事記」や「日本書紀」の歴史であれば、それは日向国に日本の中心が存在した時代とするしかない。「古事記」や「日本書紀」では、それを日向神話と呼んである。とても神功皇后の御代ではあり得ない。

○そういうところに、「古事記」や「日本書紀」の歴史観の無理がある。「古事記」や「日本書紀」には、八世紀の日本の事情に合わせて、歴史を編纂しようとする意図が見て取れる。もっとも、そういうことは、何時の時代の、何処の国の歴史でも、同じようにしていることである。何も、「古事記」や「日本書紀」が特別なわけではない。

○ただ、後世の私たちは、そういうことをも、当然、勘案して歴史を読み解く必要がある。記録された歴史を鵜呑みにすることは、できない。「魏志倭人伝」が伝える三世紀の倭国は、どう考えても、日向国を中心としたものである。

○仮に、「古事記」や「日本書紀」が卑弥呼を記録しているとするならば、それはどういうことになるのか。「古事記」や「日本書紀」が編纂された八世紀にも、当然、そういう三世紀の伝承や記録などが残されていたはずである。そういうものを整理して書かれたのが「古事記」であり、「日本書紀」だと判断される。

○そういうふうに考えると、卑弥呼は、「古事記」や「日本書紀」が記録する大山祇神とするしかない。大山祇神がどんな神様であるかは、ウィキペディアフリー百科事典が載せる大山祇神で、案内したい。
      オオヤマツミ
   オオヤマツミ、オオヤマヅミは、日本神話に登場する神。
   天孫降臨の後、邇邇芸命はオオヤマツミの娘である木花之佐久夜毘売と出逢い、オオヤマツミはコ
  ノハナノサクヤビメとその姉の石長比売を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り
  返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられ
  るようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と
  告げた。
   全国の大山祇神社(山積神社/大山積神社/大山津見神社含む)の他、三島神社(三嶋神社)や山
  神社(山神神社)の多くでも主祭神として祀られている。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/オオヤマツミ

○このウィキペディアフリー百科事典のオオヤマツミ項目自体が、極めて不確か、不完全なものとなっている。第一、大山祇神が何処の神様であるかも、明らかにしていない。そんな不思議な話はない。

○それは、日本では、大山祇神がまるで不案内なのである。それは、大山祇神の祀り方に問題があるとするしかない。大山祇神が何処の神様であるか。それすらも明らかにしないで、幾ら大山祇神を祀ったところで、仕方の無い話である。

◎取り敢えず、ここでは、卑弥呼が「古事記」や「日本書紀」が記録する大山祇神だと言うことだけを明らかにして、次回、大山祇神、すなわち、卑弥呼の正体について、迫りたい。

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