○前回、天孫降臨神話で、地上に降り立った彦火瓊々杵尊が、地上で最初に発した言葉、
此処は韓国に向かひ、笠沙の御崎を真來通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
がどういう意味内容を孕んでいるかについて、話した。この詔は、日本人が地上で最初に発した言葉である。したがって、その言葉の重みは、尋常では無い。そういうふうに判断するのが常識だろう。
○よく知られた話としては、お釈迦様が発された言葉が有名である。ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。
唯我独尊
唯我独尊(ゆいがどくそん)とは、釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉。転じて、この世で自
分ほど偉いものはいないとうぬぼれること。
釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれたとされるが、その直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地
をさして「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそんもしくは、てんじょうてんがゆい
がどくそん)と言った、という伝説から出てきたものである。しばしば釈迦を、崇める言葉として使
われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/唯我独尊
○もちろん、「古事記」の編纂者は、こういう話を知っている。したがって、「古事記」の彦火瓊々杵尊の詔に、当然、それなりの意味を付加していることは間違いない。それがどういう意味かを理解することは、思いの外、難しい。
●前回、その先に見えるものは中国への道であると説いた。この道が日向国が日本創世の地となった理由でもある。それは次のようだと説明した。
・笠沙の御崎⇒硫黄島(56辧
・硫黄島⇒口永良部島(36辧
・口永良部島⇒吐噶喇列島口之島(59辧
・吐噶喇列島口之島⇒吐噶喇列島中之島(14辧
・吐噶喇列島中之島⇒吐噶喇列島諏訪之瀬島(28辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島⇒吐噶喇列島悪石島(24辧
・吐噶喇列島悪石島⇒吐噶喇列島宝島(50辧
・吐噶喇列島宝島⇒中国:舟山群島(600辧
・中国:舟山群島⇒寧波(150辧
・寧波⇒会稽(100辧
●まるで見て来たかのように、話するではないか、と思われるかも知れない。その通りである。当古代文化研究所では、この道は、すでに何度も見て来ている。会稽には4回、寧波や舟山群島には6回、吐噶喇列島も3回、硫黄島にも6回訪問して、確認している。
●逆に言うと、この道は、中国から文化文物が日本へ伝来してきた道でもある。全く同じ道が逆には、次のようになる。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→邪馬台国(56辧
●意外と、こういうことが知られていない。それは日向国から日本国が始まったと言う歴史を、真面目に見ていない証拠である。もっとも、そのことは、学者先生がご存じ無いことなのだから、無理も無い話である。
●すでに、「日本書紀」には、吐火羅・都貨邏・都貨羅の名が見えるし、舎衞の名も載せている。そういうことを教えてくれたのも、白尾國柱の「麑藩名勝考」(寛政七年:1785年刊)である。日向国を語るには、白尾國柱を抜きには語れない。
◎彦火瓊々杵尊が、地上で最初に発した言葉、
此処は韓国に向かひ、笠沙の御崎を真來通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
が、そういう意味内容であることを理解することで、逆に、天孫降臨の世界山が何処にあるかも見えて来る。天孫降臨の世界山が霧島山高千穂峯以外であることはあり得ない。誰が何時考えても、そうなる。
◎ところが中央の学者先生は、そういうことすら、理解できない。まるで、日向国をご存じ無いのである。これまた、何とも寂しい話である。
◎まずは、天孫降臨の世界山が何処か。これが確定しない限り、日向国は見えて来ない。そういうことを中央の学者先生は、全く理解できない。何とも酷い話である。
◎2012年は古事記編纂1300年だと言うので、大いに記念行事や事業などが開催された。そういうお祭り騒ぎも必要かとは思うが、もっとも大事なのは、これを機会に、皆さんで「古事記」を読みましょうと言うことではないか。
◎「古事記」「古事記」と大騒ぎしながら、実は、肝心の「古事記」を誰も読んでいないのでは、話にもならない。せめて、「古事記」がどういう書物であるか。それくらいは、理解して欲しい。
◎日本国の始まりが日向国である。そんなことは、誰でも知っている。ところが、何故、日向国が日本国の創始となり得たのか。そんなことは誰も知らない。不思議な話である。
◎同じように、天孫降臨の世界山が何処か。これが解明できない限り、日向国は規定できない。そういうことも理解しないで、幾ら「古事記」を読んだところで、「古事記」は読めない。当たり前のことである。
◎2020年は、「日本書紀」編纂1300年だと言う。再び、多くの記念行事や事業がなされるのではないか。しかし、その前に、真面目に「日本書紀」を読もうと言うことを考えるべきだろう。「古事記」も「日本書紀」も、誰もが読んだとおっしゃる。しかし、意外に、誰も「古事記」や「日本書紀」を読んでいない。