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かもつきのあひら

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○枕詞『大隅の垂水』、『高隅の串良』と来ると、次は、もう『 かもつきのあひら』しか無い。整理する意味で、並べておくと、次のようになる。
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『大隅の垂水』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41727961.html
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『高隅の串良』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41729511.html

○枕詞『 かもつきのあひら』については、これまで、何度も言及している。
  ・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『かもつきのあひら』~20102年2月~
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36169410.html
  ・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『かもつきのあひら』~2014年9月~
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39083092.html
  ・書庫「日向国の邪馬台国」:ブログ『かもつきのあいら』~2016年3月~
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40241198.html
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『かもつきのあひら』~2016年7月~
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40475293.html
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『かもつきのあひら』~2016年11月~
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40684079.html

○高隅山から流れ出て、太平洋へと流れ入る川が肝属川である。ウィキペディアフリー百科事典では、次のように案内する。
      肝属川
   肝属川(きもつきがわ・肝付川とも表記)は、鹿児島県南東部、大隅半島中部を流れ太平洋に注ぐ
  肝属川水系の本流で、一級河川である。上流部を鹿屋川と称する。
   大隅半島西部、高隈山地の御岳東麓に発し、笠野原西部を南流。旧吾平町北部で姶良川を併せると
  共に東流へ転じ、肝属平野南部をなぞりつつ志布志湾に注ぐ。 流域の広範囲にシラス台地が分布する。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/肝属川

○もっとも、この枕詞『かもつきのあひら』説には、根本的な矛盾がある。それは日向国の肝杯郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡の四郡を割いて建国されたのが大隅国だと言うことである。それなら、肝杯郡と姶羅郡とは、別個の存在だと言うことになる。

○しかし、和名抄に拠れば、肝杯郡の管郷は、桑原、鷹屋、川上、雁麻の四郷で、姶羅郡の管郷は、野裏、串伎、鹿屋、岐刀の四郷だとある。そう考えると、肝属川上流域が姶羅郡で、肝属川下流域が肝杯郡だと言うことになる。

○もともとは、『かもつきのあひら』と言う大きな一つの地域だったのが、発展して、肝杯郡と姶羅郡の二つに分かれたと考える方が理に適っている。この地域では、それ程、『かもつきのあひら』地名は大事だと言うことの証でもある。

○もっと面白いのは、姶羅郡にあひら地名が存在しないで、大隅郡に姶郷と大阿郷が存在することである。幾ら何でもそれは無いだろう。そういう意味では、和名抄の管郷は気になる。全部を載せると、
  ・肝杯郡:桑原、鷹屋、川上、雁麻
  ・囎唹郡:葛例、志摩、阿気、方後、人野
  ・大隅郡:人野、大隅、謂列、姶臈、禰覆、大阿、岐刀
  ・姶羅郡:野裏、串伎、鹿屋、岐刀
もっとも、和名抄の管郷は菱刈郡と桑原郡を含んでいない。それは次のようになる。
  ・菱刈郡:羽野、亡野、大水、菱刈
  ・桑原郡:大原、大分、豊国、答西、稲積、広田、桑善、仲川

○郡の順序も、分国の際は、
  ・肝杯郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡
だったものが、和名抄では、
  ・菱刈郡、桑原郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡、肝属郡
と変化している。大隅国の建国は和銅6年(713年)とされ、和名類聚抄の成立は承平年間(931年~938年)とされるから、およそ二百年の時代差がある。この二百年間に、随分、大隅国は変化したことになる。

○併せて、少し整理すると、大隅郡の姶臈と大阿は、どう考えても姶羅郡だろう。ついでに、二回出ている郷名、人野と岐刀は、そのまま大隅郡に残すと、次のようになる。
  ・肝杯郡:桑原、鷹屋、川上、雁麻
  ・囎唹郡:葛例、志摩、阿気、方後
  ・大隅郡:人野、大隅、謂列、禰覆、岐刀
  ・姶羅郡:姶臈、大阿、野裏、串伎、鹿屋

○このように整理すると、おおよそ大隅国が見えて来る。あくまで、本来の大隅国の中心は、肝杯郡であり、姶羅郡だったと推測される。それが『かもつきのあひら』であることは論を待たない。現在の肝属川流域が大隅国の中心だったと言うことである。それは、大隅国のど真ん中であって、肝属平野であって、大隅国でもっとも豊かな土地である。

○新興勢力の大和朝廷の手先が進出したのが、囎唹郡である。囎唹郡は拡大成長をし続け、二百年後には、何と、
  ・菱刈郡:羽野、亡野、大水、菱刈
  ・桑原郡:大原、大分、豊国、答西、稲積、広田、桑善、仲川
  ・囎唹郡:葛例、志摩、阿気、方後、人野
と17郷に変容する。和名類聚抄は、大隅国を32郷にしているが、そのうち、菱刈郡・桑原郡・囎唹郡で17郷を数えることになる。それが大隅国の歴史である。

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