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平成二六年正月試筆

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○過去のブログを見てみると、平成二三年正月試筆は2011年正月5日に、司馬遷の「史記」老荘申韓列伝第三の『荘子伝』を書写している。
  ・書庫「無題」:ブログ『平成二三年正月試筆』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34077170.html

○平成二四年試筆は2012年正月3日に、司馬遷の「史記」、『老荘申韓列伝』第三の『老子伝』を書写している。
  ・書庫「無題」:ブログ『平成二四年試筆』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36045594.html

○平成二五年試筆は2012年正月3日に、王羲之の『蘭亭序』を書写している。
  ・書庫「無題」:ブログ『平成二五年試筆』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37382381.html

○もともと、普段は文字も左手で書くし、悪筆で知られる。そんな者が試筆を書いたところで仕方の無い話であるかも知れない。小学生の頃、習字を習いに行かされていた。それは親が左利きを直そうとする手段として選んだ方法である。

○もちろん、一人で行くはずもない。だから、監視役として姉が連れて行っていた。土曜日の午後、大脇先生とおっしゃる習字の先生の家へ行き、正座して書を書くのが何とも嫌であった。よく覚えていないけれども、たぶん、小学六年間通ったのではないか。大脇先生は、ほとんど怒らない、やさしい先生だった。

○しかし、本人にまるで字をきれいに書こうとする意識すら無いのであるから、全く上達しなかった。それでも、習字の大筆は、今でも左手では書けない。小さい頃の習いとは、恐ろしいものである。

○小学生の頃、学校でも左手で字を書くと先生に叩かれていた。親が先生にお願いしていることだから、どうしようもなかった。仕方が無いから右手で書く。なかなか思うように書けなくて、まどろっこいし、イライラする。

○中学2年生まではそうしていた。しかし、中学になると、書く量が格段に増え、右手で書いていては、全く間に合わない。それで、ある時から左手で書き出した。中学では左手で書いても怒られることはなかった。それで、それからずっと字は左で書いている。

○大学は文学部日本文学科だったから、書道が必修だった。最も心配だったのが書道であった。しかし、私が大学で習った書道の先生は、「字は手で書いても、足で書いても、口で書いても構いません。筆順なんて、全く気にする必要もありません。あんなのは、江戸時代に決まったことです。字はまるで自由なのです。それより字を書くと言う作業が大事なのです。」と言う、恐ろしいほど進歩的な先生であったから助かった。私の下手な字でも、とんと頓着しない先生であった。

○お陰で、私は、今でも字を書いている。先生のおっしゃった通り、書写は読書に不可欠の手段だと私は思っている。字を書くことで学ぶことは多い。

○ただ、悪筆は全然変わらない。人がきれいな字を書くのが羨ましいとは思うけれども、私にとって、書写は読書の一手段に過ぎない。書家になるわけでは無いのだから、字は書ければ良いのである。

○言い訳ばかりしているけれども、下手なものは下手と言うしかない。高校生の頃、芸術は選択科目で、私は美術を選択していた。書道や音楽は、小さい頃から習っている人が選択し、何も出来ない者は、美術選択生だったと、私は自分の選択から勝手にそう思っていた。

○美術の先生は野口徳次先生とおっしゃって、高校でも名物先生だった。ある日、「今日は良い天気ですねえ。こんな良い天気の日に、部屋の中に居てはいけなせん。今日は外に出ましょう。」とおっしゃって、学校隣の運動公園でボーと時間を過ごしたこともあった。

○その野口先生が、「貴方は絵が下手ですねえ。貴方ほど絵が下手な人も珍しい。しかし、これからは貴方みたいな人が絵を描かなくてはいけません。上手な人ばかりが絵を描くから、絵がつまらない。」と、みんなの前で平然とおっしゃったのを、今でも鮮明に覚えている。

○お陰で、私は絵が好きになった。何処かへ出掛けたら、美術館と動物園だけは絶対に行くくらいである。もっとも、絵はまるで上達しなかった。

○閑話休題、昨年も三月・六月・十月と、三回中国を訪れ、各地を廻って来た。その中で、最も印象に残っているのが汨羅の屈子祠である。お陰で屈原の楚辞も読み直した。

○それで、2014年正月試筆は、屈原の「漁父」を書写することとした。書写して知ったことだが、屈原の「漁父」は全字数210字である。わずか210字で、屈原が表現している内容の豊富なことに驚く。屈原の「漁父」自体は、その内容からして、おそらく屈原作では無いと思われるけれども、それでも、この楚辞が名文であることは間違いない。

○屈原の「漁父」については、以下のブログに書いているので、参照されたい。
  ・書庫「長沙・汨羅」:ブログ『楚辞:漁父』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38051630.html

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