Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

竺紫日向之高千穂之久士布流多気

$
0
0
○日向神話の内実は、次の三つになる。
  ・天孫降臨神話
  ・山幸海幸神話
  ・神武東征神話

○前回、その『天孫降臨神話』について、触れた。つまり、天孫降臨神話の舞台が何処であるかと言う話であった。「古事記」と「日本書紀」が記録する、天孫降臨の世界山の全記録は、次のように、案内される。
  「古事記」    竺紫日向之高千穂之久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
  「日本書紀」本文 日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
           槵日二上天浮橋(くしひのふたがみのあまのうきはし)
       一書 |淹臚眄虔槵觸之峯(つくしのひむかのたかちほのくじふるのたけ)
       一書◆‘槵日高千穂之峯(ひむかのくしひのたかちほのたけ)
       一書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋(ひむかのそのたかちほのくしひのふたがみの                           たけのあまのうきはし)
       一書ぁ‘映傾眄虔翕沙格覆劼爐のそのたかちほのそほり

○結果、天孫降臨神話の舞台が霧島山であることは間違いない。そんなはっきりしていることを、何故か、歴史学者先生は、認めようともなさらない。何とも、不思議な話である。

○天孫降臨の世界山がはっきりしないと、日本の歴史が語れない。何故なら、天孫降臨の世界山確認ら、日本の歴史は始まっているからである。少なくとも、日本最古の歴史書とされる「古事記」と「日本書紀」がそのように記録している以上、そこから、日本の歴史を始めるしかない。

○そういう、最も肝心なことを等閑にして、日本の歴史は語れない。もっとも、世の学者先生は、日向神話は神話であって、史実では無いとおっしゃる方も居る。しかし、日本最古の歴史書とされる「古事記」と「日本書紀」がそのように記録している以上、それを無視することは、できない。つまり、何故、日本は、日向国から始まったのか。それが問題だからである。そういうことも考えないでは、歴史を語る資格も無い。

○日本が日向國から始まったことは必然である。そのことを説明しない限り、日本の歴史は語れない。それが「古事記」の記録する『竺紫日向之高千穂之久士布流多気』と言う表現である。地味な表現ではあるが、私たちに、結構、多くのことを教えてくれる。

○『竺紫日向』とあるから、これは筑紫國のことだと、早とちりなさる方がいらっしゃる。筑紫國に日向峠が存在するから、そこが天孫降臨の地だとおっしゃる。もう笑い話である。

○古来、九州を筑紫と呼ぶことは、誰でも理解している。ここもそういう表現の一つに過ぎない。我田引水はよくない。九州の日向国を、『竺紫日向』と表現していると考えるのが自然だろう。

○『高千穂之久士布流多気』も、同様である。宮崎県の北部に高千穂町があって、そこが天孫降臨の地だとおっしゃる方も居る。これも、もう笑い話と言うしかない。

○当時の日向国は、鹿児島県と宮崎県とを抱合する極めて広い地域であった。その日向国の中心は、あくまで、薩摩半島でしかない。宮崎県の地域がすでに辺境の地でった。高千穂町は、その宮崎県でも、もっとも北部に位置する。そんなところから、日本が始まる理由も根拠も、まるで無い。

○それに、日本國の始まりは、神代三山陵と深く関係している。その神代三山陵と高千穂町との関係は、何処にも無い。そんなおかしな話は無い。

○当古代文化研究所では、これまで、何度も高千穂町を訪れ、そのことを検証している。詳しくは、次のブログに書いているので、そちらを参照されたい。
  ・書庫「神代三山陵の研究」:16個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/144322.html?m=l&p=1

○『竺紫日向之高千穂之久士布流多気』が霧島山高千穂峯だと言うことは、天孫降臨の尊である彦火瓊々杵尊の言葉が証明してくれる。長くなるので、その話は次回したい。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

Trending Articles