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神仏習合の起源

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○前に、ブログ『神仏習合について』を書いて、日本の神仏習合について、論じた。日本の神仏習合の歴史は相当古い。いろいろ検証すると、それは修験道の起源まで遡ることができるのではないか。

○従来、修験道の起源は大峰山(吉野山)で役行者である役小角(634~701)が感得したとされる。しかし、大峰山(吉野山)の信仰が三山信仰であり、
  ・大峰山(山上ケ岳:1719叩
  ・大天井ケ岳(1438叩
  ・稲村ケ岳(1726叩
を斎き祀ることを考えると、修験道の起源は更に古いことが判る。

○それが鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であり、もともとの三山信仰が、
  ・硫黄岳(703叩
  ・矢筈岳(349叩
  ・稲村岳(236叩
であったことが判る。ブログ『神仏習合について』では、そういう話をした。

○しかし、『神仏習合の起源』を考えた場合、それは鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島が起源であるとすることは難しい。硫黄島の先には中国本土が存在するからである。そのルートもはっきりしている。
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
  ・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
  ・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
  ・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
  ・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
  ・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

○このルートは、『遣唐使船南島路』として紹介されることが多いけれども、そんな新しいものではない。中国の正史「三国志」でも、編者陳寿は 『遣唐使船南島路』を、
  ・計其道里當在會稽東冶之東
として案内しているくらいである。つまり、『遣唐使船南島路』が三世紀以前から存在したことは間違いない。

○それでは、『神仏習合の起源』は、中国の何処に求めることができるか。そういう話になろう。当古代文化研究所では、これまで、長い時間を掛けてそれらを検証し続けている。

○まず、中国で、宗教的聖地と言えば、何と言っても五岳だろう。ウィキペディアフリー百科事典には、次のようにある。
      五岳
   中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、
  火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。
    ・東岳泰山(山東省泰安市泰山区)(世界遺産)
    ・南岳衡山(湖南省衡陽市南嶽区)
    ・中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)(世界遺産)
    ・西岳華山(陝西省渭南市華陰市)
    ・北岳恒山(山西省大同市渾源県)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/五岳

○当古代文化研究所では、これらの五岳へ、全て、参詣済みである。
  ・書庫「泰山に登る」:33個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1294923.html?m=l&p=1
  ・書庫「南岳衡山」:29個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1255205.html?m=l&p=1
  ・書庫「中岳:嵩山詣で」:18個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1276033.html?m=l&p=1
  ・書庫「西岳:華山に登る」:13個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1276035.html?m=l
  ・書庫「北岳:恒山」:30個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1276029.html?m=l&p=1

○別に、中国には中国四大仏教名山と言う概念がある。日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する「中国四大仏教名山」は、次の通り。
      中国四大仏教名山
   中国四大仏教名山(ちゅうごく しだい ぶっきょう めいざん)は、中国で用いられる、四ヶ所の
  著名な仏教名山・霊山・聖山に対する呼び名である。
    ・山西省五台県の五台山 - 文殊菩薩の霊場(世界遺産)
    ・四川省楽山市の峨眉山 - 普賢菩薩の霊場(世界遺産)
    ・安徽省池州市の九華山 - 地蔵菩薩の霊場
    ・浙江省舟山市の普陀山 - 観音菩薩の霊場
    ただし、普陀山は実際には山ではなく島である。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/中国四大仏教名山

○当古代文化研究所では、これらの中国四大仏教名山へ、全て、参詣済みである。特に、日本との関係が深い普陀山へは、これまで6回参詣している。
  ・書庫「五台山」:23個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1276028.html?m=l&p=1
  ・書庫「仏教聖地:峨眉山」:21個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1272577.html?m=l&p=1
  ・書庫「九華山・黄山」:31個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1234224.html?m=l&p=1
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:31個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204492.html?m=l&p=1
  ・書庫「普陀山・洛迦山」:29個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1210153.html?m=l&p=1
  ・書庫「寧波三歩・洛迦山参詣」:34個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221590.html?m=l&p=1
  ・書庫「観音信仰の島:普陀山」:14個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1228925.html?m=l
  ・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:37個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1241668.html?m=l&p=1
  ・書庫「普陀山巡礼」:62個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1304975.html?m=l&p=1

○これらの中国の宗教的聖地を巡ってみると判ることだが、それらは何処も道教と仏教との神仏習合の聖地であることが判る。つまり、神仏習合は何も日本オリジナルのものでは無いと言うことである。何とも、恐ろしい話だが、五岳と中国四大仏教名山を巡って検証した結果だから、間違いない。

○つまり、日本へ仏教が伝来した際、それはすでに神仏習合の宗教として入って来たことが判る。それを確認することができるのが鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島である。そのことを、中国の正史「三国志」は、『卑弥呼の鬼道』と案内している。何とも的確な表現であることに驚く。

○三世紀の中国に於いては、未だ仏教は新興宗教の域を出なかった。「三国志」の編者、陳寿の故郷は、四川省南充である。その四川省は道教が盛んなところであり、なおかつ、仏教が早く入って来た土地でもある。その四川省出身の陳寿を以てしても、卑弥呼の仏教は『卑弥呼の鬼道』と表現するべきものでしかなかったところに注目すべきだろう。

○後世、それは日本では修験道と称された。その原型がそのまま、奈良県吉野郡天川村大峰山には残されている。お陰で、私たちは『卑弥呼の鬼道』がどういうものであったかを理解することができる。それが神仏習合の宗教であったことは間違いない。

○中国には、廬山と言う名山があって、名高い。その廬山もまた信仰の山として知られる。それも神仏習合の山なのである。当古代文化研究所では、2回廬山及び廬山鎮を訪れ、そのことを確認している。
  ・書庫「廬山・九江」:42個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1234221.html?m=l&p=1
  ・書庫「廬山鎮:東林寺」:8個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1255209.html?m=l

○陶淵明(365~427)が「飮酒二十首・其五」で、
  採菊東籬下    菊を採る 東籬の下
  悠然見南山    悠然と南山を見る
と菊を採るのは、廬山鎮の住居であり、悠然と見る南山は、廬山である。その廬山の麓に慧遠(334~416)の住持した東林寺がある。

○廬山の慧遠と言えば、誰でも思い出すのは『虎溪三笑』だろう。詳しくは次に書いている。
  ・書庫「廬山・九江」:ブログ『虎溪三笑』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38339332.html

○中国の神仏習合とは、そういうことである。『虎溪三笑』は四世紀の話だろうが、その遥か以前から、中国の神仏習合は始まっていた。中国の五岳や中国四大仏教名山へ参詣すると、そういうことが判る。

○日本に居るだけでは、何も見えて来ない。文化の伝搬先を訪れると、意外なことがたくさん出現して驚かされる。「百聞不如一見」と言う。その通りである。見ることは信じることなのである。出掛けて確認するに如くはない。

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