神仏習合について
○日本の宗教は、神仏習合だったとされる。例えば、ウィキペディアフリー百科事典では、神仏習合について、次のように説明している。 神仏習合 神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が 融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともい...
View Article台北故宮博物院
○2019年7月25日から29日に掛けて、台湾へ出掛けて来た。毎年、3、4回も中国本土へ出掛けているのに、まだ一回も台湾を訪れたことがない。周りには、中国へ出掛けた人よりも、台湾へ行ったことのある人の方が、断然多い。...
View Article計其道里當在會稽東冶之東
○前に、ブログ『遣唐使船南島路』に、次のように書いた。 ・学者先生が幾ら遣唐使船南島路を否定なさったところで、遣唐使船南島路は歴然とその存在感を提 示して止まない。このルートが古来からずっと使用され続けて来たことは、歴史が証明している。そ の歴史は三世紀から確認できる。 ・中国の正史「三国志」を読むと、そのことがよく判る。「三国志」の編者である陳寿がそのことを...
View Article所有無與儋耳硃崖同
○ブログ『遣唐使船南島路』の話から、前回、中国の正史「三国志」が記録する『計其道里當在會稽東冶之東』の話をした。それがそのまま遣唐使船南島路だと言う話であった。 ○中国の正史「三国志」には、もう一つ、なかなか説明の難しい記録がある。それが『所有無與儋耳硃崖同』である。今回は、その話をしてみたい。...
View Article神仏習合の起源
○前に、ブログ『神仏習合について』を書いて、日本の神仏習合について、論じた。日本の神仏習合の歴史は相当古い。いろいろ検証すると、それは修験道の起源まで遡ることができるのではないか。 ○従来、修験道の起源は大峰山(吉野山)で役行者である役小角(634~701)が感得したとされる。しかし、大峰山(吉野山)の信仰が三山信仰であり、 ・大峰山(山上ケ岳:1719叩 ・大天井ケ岳(1438叩...
View Article太陽崇拝
○ブログ『卑弥呼の鬼道』あたりから、日本仏教の起源について、言及し続けている。それは神仏習合の仏教であって、日本では修験道として定着している。このことについては、次のブログで触れた。 ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『神仏習合について』 https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41759338.html...
View Article富士山の木花之佐久夜毘売命
○一年中で、富士山に登れるのは、わずか二ヵ月しかない。7月8月がその期間である。もちろん、富士山そのものは年中存在するわけだから、登ろうと思えば、何時でも登ることはできる。しかし、普通の人が普通に登ることができるのが7月8月だけだと言うことである。...
View Article吐噶喇列島宝島の太陽崇拝
○前々回、ブログ『普陀山の太陽崇拝』で、中国浙江省舟山群島の普陀山に於ける太陽崇拝を見て来た。また、前回は『富士山の木花之佐久夜毘売命』で、日本の富士山に於ける太陽崇拝について考察した。両者は全くの別物みたいに思われるかも知れないが、実は、もともと同じものであることが判る。...
View Article硫黄島の太陽崇拝
○ここまで、ブログ『普陀山の太陽崇拝』から『富士山の御来迎』、『吐噶喇列島宝島の太陽崇拝』と続けている。『普陀山の太陽崇拝』は『吐噶喇列島宝島の太陽崇拝』を経て、『硫黄島の太陽崇拝』へと続いている。...
View Article出雲神話と日向神話
○ここのところ、ブログ『普陀山の太陽崇拝』から『富士山の御来迎』、『吐噶喇列島宝島の太陽崇拝』、『硫黄島の太陽崇拝』と、太陽崇拝の話を続けている。今回も太陽崇拝の話を続けようと思っていたのだが、昼間、唐突に『出雲神話と日向神話』のことが気になった。実際、どれくらいの話が出来るかは、甚だ疑問だが、ここで考えて見たい。...
View Article日向神話
○前回、『出雲神話と日向神話』を扱って、出雲神話と日向神話とは別系統の神話なのではないかと言う話をした。『出雲神話と日向神話』と両方を扱うと、なかなか話が大き過ぎて、まとまらない。そこで、今回は、日向神話を考えてみたい。...
View Article出雲神話
○前々回、『出雲神話と日向神話』の話をして、『出雲神話と日向神話』を語る上で、もう少し、丁寧に、出雲神話や日向神話を個別に見ておく必要性を感じた。それで、前回、『日向神話』の話を書いた。今回は、続けて『出雲神話』の話をしたい。 ○まずは、出雲地名の話から。出雲には枕詞が存在する。それも須佐之男命の和歌が起源とされるから、何とも古いものである。何しろ、かの紀貫之が「古今和歌集」仮名序に、...
View Article神武東征
○『出雲神話と日向神話』から『出雲神話』、『日向神話』と見て来た。その続きが神武東征であることは言うまでも無い。ウィキペディアフリー百科事典が案内する神武東征は、次の通り。 神武東征 神武東征(じんむとうせい)は、磐余彦尊が日向を発ち、奈良盆地とその周辺を征服して、はじめ て天皇位についた(神武天皇)という一連の説話をさす用語。...
View Article日本人最初の言葉
○日向神話は、大きく次の三話になるのではないか。 ・天孫降臨神話 ・海幸山幸神話 ・神武東征神話 ○前回、天孫降臨神話として、『天孫降臨の世界山』の話をした。天孫降臨の世界山が霧島山高千穂峯だと言う話であった。天孫降臨の世界山がどういう山であるか。これは日本人にとって、極めて興味深い話だとするしかない。...
View Article笠沙の御前
○前回、ブログ『日本人最初の言葉』の話をして、天孫降臨した日本人最初の人物とされる番能邇邇芸命が天孫降臨の世界山で、語った日本人最初の言葉の話をした。その番能邇邇芸命の言葉は、次のようなものであった。 此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、 朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。 故、此処は甚吉き地。...
View Article日本創世の地:日向国
○日向国が何故、日本創世の地と成り得たか。歴史学者先生は誰も説明なさらない。そういう説明が無い限り、日向国が日本創世の地であることを証明することは難しい。今回は、そういうことを考えてみたい。 ○ここまで、見て来たブログ『笠沙の御前』や『日本人最初の言葉』、『天孫降臨の世界山』、『神武天皇御船出の地』、『日向神話の舞台』などは、全て、そのヒントとなる。...
View Article邪馬台国から薩摩国へ
○前回、ブログ『日本創世の地:日向国』を書いて、どうして日向国から日本国が始まったのかと言う話を展開した。それは日向国が中国本土へ直結していたからに他ならない。そのルートは次のようだと案内した。 ・会稽→寧波(100辧 ・寧波→舟山群島(150辧 ・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧 ・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧 ・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧...
View Articleそらみつ やまと
○前回、ブログ『大和地名と薩摩地名』を書いて、大和地名についても、かなり踏み込んだことを述べたつもりである。ここでは、枕詞から大和地名を考えてみたい。 ○ブログを振り返ると、結構以前から、この問題については考えていることが判る。最も古いブログは、次のものになるのではないか。 ・書庫「大和地名と薩摩地名」:ブログ『邪馬臺国ーヤマトの語義についてー』~2008年12月4日~...
View Articleあきつしま やまと
○大和に掛かる枕詞は三つもある。 ・そらみつ やまと ・あきつしま やまと ・しきしまの やまと そんな言葉(地名)を別に聞いたことが無い。それほど大和は特別な言葉(地名)なのだろう。 ○前回、『枕詞そらみつ』について話した。続けて、今回は『枕詞あきつしま』の話になる。『そらみつ やまと』の風景は、何時見ても美しい。もともと枕詞とは、そういうものなのである。...
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