Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

神仏習合について

$
0
0
○日本の宗教は、神仏習合だったとされる。例えば、ウィキペディアフリー百科事典では、神仏習合について、次のように説明している。
      神仏習合
   神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が
  融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともい
  う。明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。
  【概要】
   神々の信仰は本来土着の素朴な信仰であり、共同体の安寧を祈るものであった。神は特定のウジ
  (氏)やムラ(村)と結びついており、その信仰は極めて閉鎖的だった。普遍宗教である仏教の伝来
  は、このような伝統的な「神」観念に大きな影響を与えた。仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神
  祇信仰との融和がはかられ、古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大
  寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以
  降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった。
   日本への仏教の伝来から、神と仏は同じものとして信仰されていた。その素朴な神仏習合観念は、
  やがて仏教の仏を本体とする本地垂迹説として理論化されるようになり、さらに戦国時代には天道思
  想による「諸宗はひとつ」とする統一的枠組みが形成されるようになった。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/神仏習合

○おおよそ、神仏習合について、ほとんどの人は、上記のような概念を抱いているのではないか。しかし、よくよく考えると、このことはまるで謂われなき概念であることが判る。

○と言うのは、日本の仏教伝来を考えた時、そのことを痛感させられるからである。ついでに、日本の仏教伝来についても、見ておきたい。
      仏教公伝
   仏教公伝(ぶっきょうこうでん)は、国家間の公的な交渉として仏教が伝えられることを指す。上
  代の日本においては6世紀半ばの欽明天皇期、百済から古代日本(大和朝廷)への仏教公伝のことを指
  すのが一般的であり、この項でもそれについて説明する。単に仏教伝来と称されて来たが、後述のご
  とく公伝以前に、すでに私的な信仰としては伝来していたと考えられるため、「公伝」と称されるこ
  とが多い。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/仏教公伝

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

Trending Articles