○前回、ブログ『日本創世の地:日向国』を書いて、どうして日向国から日本国が始まったのかと言う話を展開した。それは日向国が中国本土へ直結していたからに他ならない。そのルートは次のようだと案内した。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→坊津(56辧
○三世紀に、このルートを支配していたのが邪馬台国だと言うことになる。中国の正史、「三国志」を読むと、魏国が認識していた倭国三十国は次のようであったことが判る。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○古日向国は八世紀になると、薩摩国・大隅国・日向国の三国に分国する。それは、もともと、古日向国自体に、大きく三つの勢力が存在したことを意味する。それを当て嵌めると、次のようになるのではないか。
・邪馬台国=薩摩国
・狗奴国=大隅国
・投馬国=日向国
○邪馬台国が邪馬台国から薩摩国へと国名を変えたのにも、当然、理由がある。それは大和国を名乗る存在が強大になったからだと考えられる。つまり、邪馬台国と大和国とは同一の国名だと言うことである。
○逆に言うと、邪馬台国や大和国と薩摩国との間には、ある種の強力な意味関係が存在すると思われる。それを解明すれば、邪馬台国や大和国の国名の由来や薩摩国の国名の意味も見えてくる。そういうふうに考えた。
○当古代文化研究所では、そういうことを踏まえて、これまで、この問題については、何度も検証を済ませている。
・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『白尾國柱と薩摩國』~2009年8月5日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28903238.html
・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『薩摩國名考』~2012年3月1日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36270820.html
・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:ブログ『諸菩薩摩訶薩の国』~2014年1月23日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38494659.html
・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『諸菩薩摩訶薩の国』~2014年9月1日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39071926.html
・書庫「日向国の邪馬台国」:ブログ『薩摩国号』~2016年3月6日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40221206.html
・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『薩摩国名考』~2017年2月7日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40794516.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『薩摩國名考』~2019年1月20日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41636988.html
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→坊津(56辧
○三世紀に、このルートを支配していたのが邪馬台国だと言うことになる。中国の正史、「三国志」を読むと、魏国が認識していた倭国三十国は次のようであったことが判る。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○古日向国は八世紀になると、薩摩国・大隅国・日向国の三国に分国する。それは、もともと、古日向国自体に、大きく三つの勢力が存在したことを意味する。それを当て嵌めると、次のようになるのではないか。
・邪馬台国=薩摩国
・狗奴国=大隅国
・投馬国=日向国
○邪馬台国が邪馬台国から薩摩国へと国名を変えたのにも、当然、理由がある。それは大和国を名乗る存在が強大になったからだと考えられる。つまり、邪馬台国と大和国とは同一の国名だと言うことである。
○逆に言うと、邪馬台国や大和国と薩摩国との間には、ある種の強力な意味関係が存在すると思われる。それを解明すれば、邪馬台国や大和国の国名の由来や薩摩国の国名の意味も見えてくる。そういうふうに考えた。
○当古代文化研究所では、そういうことを踏まえて、これまで、この問題については、何度も検証を済ませている。
・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『白尾國柱と薩摩國』~2009年8月5日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28903238.html
・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『薩摩國名考』~2012年3月1日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36270820.html
・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:ブログ『諸菩薩摩訶薩の国』~2014年1月23日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38494659.html
・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『諸菩薩摩訶薩の国』~2014年9月1日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39071926.html
・書庫「日向国の邪馬台国」:ブログ『薩摩国号』~2016年3月6日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40221206.html
・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『薩摩国名考』~2017年2月7日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40794516.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『薩摩國名考』~2019年1月20日~
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41636988.html