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狗奴国の風景

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○前回、『邪馬台国の風景』と題して、邪馬台国を代表する風景が邪馬台国三山である話をした。この風景は、ある意味、古代の日本を代表する風景でもある。それが日本人で最初に地上に降り立った彦火瓊瓊杵尊が、天孫降臨の世界山、霧島山高千穂峰で発した次の言葉である。
  此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、
  朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
  故、此処は甚吉き地。

○この言葉が意味する内容を誰も問題としない。しかし、この言葉が意味するところは大きい。それこそ、天孫降臨の世界山が霧島山高千穂峰であることを教えてくれる言葉でもある。なかなか歴史学者は、そういうことを指摘しない。

○邪馬台国を代表する風景が邪馬台国三山だとすれば、狗奴国を代表する風景は何だろうか。これも気になる。今回は、そういうことを考えてみたい。

○最初に、狗奴国とはどういう国か。そのことから始めたい。三世紀の日本の様子を、中国の正史「三国志」が1986字もの字数で丁寧に記録している。日本ではそれを「魏志倭人伝」と呼び称している。

○「魏志倭人伝」の主題が倭国三十国の案内にあることは間違いない。「三国志」の編者、陳壽は、次のように倭国三十国を案内してみせる。何とも凄まじい表現であることに驚く。この表現だけでも、陳壽が稀代の史家であることが判る。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○狗奴国は、南九州にあって、邪馬台国と敵対していた国として、「魏志倭人伝」では描かれている。南九州三国を後世の国区分で分ければ、次のようになる。
  薩摩国=邪馬台国
  大隅国=狗奴国
  日向国=投馬国

○したがって、現在の大隅半島が狗奴国になる。八世紀以降は大隅国と呼ばれ、その国府は現在の霧島市国分だった。しかし、もともとの大隅国の中心は、あくまで、肝属川流域であったことは間違いない。

○しかし、ここで問題とするのは、さらに古い時代の話である。その時代が狗奴国の時代となる。狗奴国の時代、狗奴国の中心が何処にあったか。それが『狗奴国の風景』となることは言うまでもない。

○そんな時代の狗奴国の記録は、何処にも無い。「魏志倭人伝」が記録する狗奴国は、次の通り。
  ・(邪馬台国)其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。
  ・倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻擊狀。
これだけの情報から、『狗奴国の風景』を描くことは、到底、無理である。

○ところがひょんなことから、『狗奴国の風景』が出現して驚かされた。それが神代三山陵である。もっとも、神代三山陵と言ったところで、ご存じ無い方が多いのかも知れない。ウィキペディアフリー百科事典が案内する神代三山陵は、次の通り。
      神代三陵
   神代三陵(かみよさんりょう)または神代三山陵は、可愛山陵(瓊瓊杵尊陵)・高屋山上陵(彦火
  火出見尊陵)・吾平山上陵(鸕鷀草葺不合尊陵)の総称。いずれも宮内庁により鹿児島県内に治定さ
  れている。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/神代三陵

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